nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2020年8月20日 祈祷会の学び

先ほどライブ配信した祈祷会の学びの動画です

 8月20日の聖書通読箇所は、ネヘミヤ記2章です。先週の続きとして、エズラ記6章以降の部分も、一緒に見ていきます。


2020年8月20日 祈祷会の学び

 

接続不安定?

 途中何度か、「接続が不安定です」という警告メッセージが画面に表示されましたので、ライブでご覧になっていた方は、途中で映像が途切れたり止まったりしたかもしれません。ご迷惑をおかけしました。

 リビングダイニングからライブ配信した方が、恐らく接続が安定していて、部屋も明るくて良いのですが、以前、ライブ配信中に宅配便のインターホンの音が入ってしまったので、なんとなく警戒して、それ以降は書斎の方からライブ配信するようにしています(大抵いつも何かしら本を注文しているので、インターホンが心配)。まあ、無視して続ければ良いので、接続が安定している方を優先して、場所を移動しても良いかもしれません。

 

捕囚からの帰還と再建

 ペルシア王キュロスの寛容政策のもとでのバビロン捕囚からの帰還は、紀元前539年にキュロス王がバビロンを征服したことにより、実現しました。その後の「再建」は、最初は瓦礫となっていた神殿の丘の聖所の再建に始まりますが、それは、神殿祭儀の再開でもありました。それを担ったのが、歴代誌を書き記したレビ人たち、ということになるでしょう。神殿の建物は、ソロモンが建て、その後、ヒゼキヤなどによって修理拡張された壮麗な神殿を記憶している世代の人たちからは、嘆かわしいほどの小さなものだったようです。愛用の『コンサイス聖書歴史地図』(いのちのことば社、2019年)には、その再建された神殿の想像図が載っていました。

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ゼルバベル神殿(再建された神殿)

 

 しかし、「再建」は単なる神殿の建物や祭儀の再建だけでは終わりません。エズラ記4章には、神殿の建物が再建されたキュロス王の時代から3代目のダレイオス王の時代まで、その地域にいた住民による妨害が続いたことが記されています。この人たちは、アッシリア帝国による北王国イスラエルの滅亡(紀元前722年)の時の強制移住(民族入れ替え政策)によって、この地に住み着いた住民であると説明されます(4:2)。南王国ユダの滅亡後に、サマリアから南下して住み着いた、ということかもしれません。何れにせよ、彼らからすれば、捕囚から帰還してきた人々は、「新参者」、つまり自分たちよりも後から来た連中、ということになりますので、自分たち抜きで勝手なことはさせない、というような思いだったのかもしれません。

 ともかく、この先に住み着いていた住民は、神殿再建に加わることを要求します(4:1-2)。これに対して、帰還した民は、自分たちの宗教的(また民族的)純粋さを維持することが重要と考えたのか、彼らの参加を拒否します(4:3)。これが長きに渡る妨害を誘発することになります。(個人的には、仲間に入れてあげれば良かったのに、と思ったりもします。)

 ただし、この地域は、ペルシア帝国の行政区域である「ユダ」という区分ですから、ペルシア帝国の行政長官の管轄であり、一部の住民の思惑で何かを決めるという訳にはいきません。それで、それぞれが行政側に訴えかけて、自分たちに有利な決定を勝ち取ろうとしたようです。4章5節には、先に住み着いていた住民たちによる「参議官」の買収が記され、その「告訴状」の内容や、その結果の再建工事中止の経緯まで記されています(4:6-24)。ただし、この告訴状は、4章6節では第4代クセルクセス王(紀元前486-465年)の治世のはじめに書かれたとあり、実際の告訴状の内容を紹介する部分では、第5代アルタクセルクセス王(紀元前465-424年)の時代となっていますので、王が変わるたびに告訴状を送って妨害工作を続けたのか、そもそも街自体の再建はあまり進んでいないところに、アルタクセルクセス王の時代になって本格的に妨害工作が始まったのか、詳細は不明です。何れにせよ、バビロン捕囚の間にエルサレムに住み着いていた住民と、捕囚から帰還して来た人々の間に、相当根深い対立が生じていたことは確かでしょう。

 ちなみに、『コンサイス聖書歴史地図』に当時のユダの区分が書かれていますが、緑色のごく限られた範囲であることがわかります。

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ペルシア帝国下のユダ

エルサレム再建の指導者:エズラ&ネヘミヤ

 当時のエルサレムの街自体は、バビロン捕囚の時に徹底的に破壊されたままの廃墟でしたが、上記のようにその程度はともかくとして、キュロス王の時に始まりアルタクセルクセス王になるまで続いた妨害工作によって、エルサレムは廃虚のまま、100年近く放置されたことになるでしょうか? エズラもネヘミヤも、この城壁=エルサレムの街の再建に関わった指導者ということになります。城壁が再建されたあたりの想像図です。右上(奥)の神殿の丘から下に伸びる、城壁に囲まれた細長い部分が再建された街で、その西に広がる地域(かつてヒゼキヤの時代にはずっと西側に街が続いていた)は、すっかり荒れ果てた廃墟のままになっているのがわかります。

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ネヘミヤ時代のエルサレム

律法を中心に据えた信仰の再建

 次週あらためて読み進めますが、エズラの役割は、エルサレムの街の再建以上に、律法を中心とする人々の信仰の再建でした。神殿の建物と祭壇が再建され、神殿祭儀は復活したとしても、ただ単に動物犠牲や礼拝が形の上で続けられることが再建とは言えない、ということでしょう。人々の信仰そのものが、律法に記されている神の御心に沿ったものに再建される必要があったのです。ただし、その信仰の内容については、異教徒との結婚の解消による民族的純粋性の強調など、現代の私たちが注意して考えるべき点もあると思います。その辺りは次週。

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano