nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2020年12月3日 祈祷会の学び

12月3日の祈祷会の学びの動画です

 先ほど終了した、祈祷会の学びのライブ配信動画を、ブログでも提供いたします。

 


2020年12月3日 祈祷会の学び

 

詩編42篇&43篇

 詩編42篇は、「鹿のように」(As the Deer)というゴスペルソングにもなっていて、とてもよく知られた箇所だと思います。よく聴いているという方は、「谷川の流れを慕う鹿のように/主よ、わが魂 あなたを慕う」という日本語の歌詞が頭に浮かんでくることでしょう。そうなると、聖書協会共同訳の新しい訳が気になりますね。2節は以下のように訳されています。

 「鹿が涸れ谷で水をあえぎ求めるように/神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める。」

ここで「あえぎ求める」と訳されている表現は、乾季の間は水がなくなってしまう川(ワディ)で、実際に水が涸れている状況を反映していて、切実さが伝わってきます。

 標題にある「コラの子」と、43篇3-4節に描かれるエルサレム神殿の祭壇に箏を奏でながら近づき賛美を捧げる情景と合わせて、この詩編の作者は、神殿で行われる礼拝や祭において、聖歌隊/奏楽者として奉仕していたことが伺えます。その詩人が、エルサレムから追放され、礼拝祭儀の奉仕の機会を奪われた様子が、切実に歌われたものだということが推察されます。

 この詩人の神殿祭儀からの追放は、彼自身の失敗によるものではなく、おそらく、古代イスラエルにおいて繰り返された、祭儀の変遷を背景にしていると考えられます。列王記を通読する中で何度か触れましたが、イスラエル王国は、ソロモンの死後に南北王朝に分裂します。その後、アッシリアやエジプト、バビロニアといった大国の政治的支配下に置かれる時代も繰り返される中、そうした外国による異教祭儀の影響を受けて、神殿祭儀が変更されたり、神殿に仕える祭司やレビ人が入れ替わることもあったようです。例えば、アッシリアの影響下では、その支配者に忠実に仕える祭司たちが選ばれますので、ヤハウェ信仰を貫く者たちは、当然ながら祭儀から締め出され、追放されることになります。この詩人も、そうした政治的状況によって翻弄された一人なのでしょう。

 「あなたの神はどこにいるのか」(42:4)という表現は、そうした敵対的な状況を背景にして考えてみると、日本語としては丁寧すぎると思いますが、異教の影響下にある者たちから浴びせられた心無い誹謗中傷の言葉なのでしょう。彼らの勝ち誇ったようなこの言葉は、遠くの地(ヨルダンの地、ヘルモンとミザルの山)にいる詩人の心の中で、常に響き続け、詩人を苛み続けた言葉だと思います。状況が好転しない時間が過ぎる中、詩人は、神に嘆き訴えますが、この敵対者に浴びせられた言葉が、次第に自分自身の問いとしても彼を苦しめるようになっていったのでしょう。

 しかし、そうした心の中から湧き出てくる疑いに対して、詩人は繰り返し、神に信頼するように自分に言い聞かせます。それが、42篇6-7a節、12節、43篇5節に3回繰り返されるリフレインです。

  私の魂よ

  なぜうち沈むのか、なぜ呻くのか。

  神を待ち望め。 

  私はなお、神をほめたたえる。

  「御顔こそ、わが救い」と。

  わが神よ。

詩人は、この言葉によって、困難な状況の中でも信仰に踏みとどまるのです。私たちも、この言葉に支えられて、信仰の歩みを続けたいと思います。

 

 

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano