祈祷会の学びの動画です
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箴言30章:ヒゼキヤ版の最終章
箴言30章は、(ミラー教授の注解書によれば)ヒゼキヤ王の時代の宗教改革の一環として、ソロモン王の「箴言集」を再編集した「箴言集」の最後の章に当たります。この宗教改革では、ソロモン王がエジプトから導入した知恵文学の中で強調されていた、最も優先すべき価値としての「知恵」を、あくまでも聖書の神ヤハウェに対する信仰に限定し、方向づけるという明確な意図をもって、再編集が行われたようです。
ミラー教授の興味深い指摘(仮説)として、当時の書物が獣皮紙を縫い合わせた巻物だったことから、ヒゼキヤ王の時代の編集では、巻物を両端から巻いていったちょうど中間部分にくる単元(箴言16:2-6)に、ヤハウェ信仰が強調される部分が来るように、巻物の前半分と後ろ半分の部分にバランスをとって補足したということです。箴言は、一般的な格言集ではなく、2行構成の詩が基本的な単位で、その詩が複数集まった詩集が複数組み合わされていることから、「詩集」と呼ぶのが正確だということです。
以前ブログ(4月8日)で紹介し始めて途中になっていた箴言全体の構成ですが、第1部が1-9章(導入的詩集)、第2部が10:1-22:16(中心的詩集)、第3部が22:17-30:33(補足的詩集)となっていて、節数で行くと第1部が256節、第2部が375節、第3部が253節となっていて、第1部と第3部が長さにおいてほぼ対応します。またその中心部分である第2部自体も、3分割されますが、最初の10:1-16:1と最後の16:7-22:16が、2行詩5つによって構成される単元にしてそれぞれ37単元で揃っていて、真ん中の16:2-6が2行詩5つの1単元という、左右対称で非常に緻密に構成されています。巻物を両端から巻いていったちょうど真ん中に当たる16:2-6に、ヤハウェ信仰を強調する部分が来るというミラー教授の説明は、なかなか見事だなと思います。
いずれにせよ、神の固有の名前であるヤハウェを、一般的尊称である「主」と訳すことは、ミラー教授によればかなり深刻な不備だということです。「主」だと、特にヤハウェに限定されず、ほかの神々をも含んでしまうからです。カナンの農耕神であるバアルでも構わないということでは、おかしなことになってしまうでしょう。ソロモン王が国際的政略結婚で手に入れた妃たちと一緒にイスラエルに導入された数々の異教の神々もまた、一般的尊称では含まれてしまう、ということです。もちろん、聖書を読む私たちはこの「主」が聖書の神のことだけを指すと理解して読んでいるのですが、確かに、ヒゼキヤ王の宗教改革において、ヤハウェ以外の神々を排除することを徹底させたことを考えれば、「主」ではなく「ヤハウェ」とすべきとのミラー教授の指摘はその通りだと思います。新改訳ではこの「主」を太字で「主」とわざわざ目立たせて印刷していますが、朗読する場合にはその違いは消えてしまいますね(そこだけ大きな声で強調して読むかな?)。
背景としては、「あなたは主(ヤハウェ)の名をみだりに唱えてはならない」との十戒の言葉から、古代イスラエル宗教の伝統において、「ヤハウェ」という固有の名を発音することを控え、「私の主」という一般的な尊称である「アドナイ」に置き換えた、という事情がありますので、「主」と訳すことも十分根拠はあります。ちなみに、聖書ヘブライ語を勉強するときにも、ユダヤ教の伝統の中で学んだ人は、神の固有の名を示す神聖四文字(YHWH)を「アドナイ」と発音する傾向があり、聖書学の枠の中で学んだ人は、「ヤハウェ」と発音する傾向があります。私自身は、大学時代に聖書ヘブライ語を学んだときの先生が、イスラエルのキブツ(集団農場)で暮らした経験のある日本人の方だったこともあり、「アドナイ」と発音する癖がついています。
アグルの言葉
1節の標題の部分は、聖書協会共同訳では「ヤケの子アグルの言葉。託宣」と訳されています。この「託宣」の部分はヘブライ語では「マッサー」ですが、これは一般名詞として「託宣」と訳せると同時に、創世記25:14と歴代誌上1:30にイシュマエルの子「マサ」という名が言及されていることから、これをイシュマエル族の地名とする理解もあります。いずれにせよ、このアグルはヤハウェ信仰に熱心なレビ人の一人と考えられ、ヒゼキヤ版の箴言の最終章に名前が言及されることから、おそらくヒゼキヤ版の編集に関わった重要な人物だと考えられます。
「疲れた」?
聖書協会共同訳は30:1を、「その人は言う。/神よ、私は疲れた。/神よ、私は疲れた。/呑み尽くされてしまいそうだ」と訳します。これに対して口語訳では、「その人はイテエルに向かって言った、すなわちイテエルと、ウカルとに向かって言った」と訳します。「疲れた」と訳す方は、このヘブライ語の母音記号を付け替え(読み替え)て動詞として理解し、それによって、アグルを神への信仰に疲れ果てた存在として描きます。しかし、イティエルはネヘミヤ11:7にベニヤミン族の人名として言及され、ウカルの方は、列王記上5:11(口語訳4:31)にソロモンの知恵の方がはるかに優っていたとして、比較対象に挙げられる当時の賢者の一人カルコルと類似することから、人名として十分考えらえるとして、ミラー教授はこの二人を、ヒゼキヤ版の編集に関わった専門職である書記だったと考えます。ちなみに、歴代誌上2:6にはヤコブの子の一人であるユダがタマルによってもうけた子ゼラの子の一人に、列王記5:11と同じカルコルという名前の人物が出てきます(もちろん、時代的に同一人物ではあり得ません)。
要するに、この箇所をわざわざ動詞の母音記号を付け替えて「疲れた」と訳す必要はなく、同じ宗教改革の中で箴言の再編集に関わった仲間として読むことで、彼らに語りかけたアグルを、信仰熱心な存在として理解できるということです。個人的には、こちらの説明に納得ですが、「疲れた」と読む解釈の方が、現状では広く行き渡っているようです。
アグルの信仰
30:7-9は、アグルの個人的な深い信仰を表現している祈りです。「貧しくもせず、富ませもせず/私にふさわしい食物で私を養ってください。/私が満ち足り、あなたを否んで/『主(ヤハウェ)とは何者か』と言わないために。/貧しさのゆえに盗み、神の名を汚さないために」(9節)。ここを読めば、アグルがヤハウェ信仰に疲れ果てた人物とは到底思えません(個人的には、この祈りの言葉を額に入れて壁に掛けて、家訓として大切にしたいと思います)。
ちなみにこの言葉は、例えば申命記6:10-15や8:11-20にあるような、神を忘れて思い上がることへの警告の言葉と重なり合います。ヒゼキヤ王の治世は紀元前725-697年ですが、列王記下18:5-6では「ユダの王の中で、ヒゼキヤのようにイスラエルの神、主(ヤハウェ)を頼りとしていた者は後にも先にもいなかった。主(ヤハウェ)に固く結び付き、付き従って離れることなく、主(ヤハウェ)がモーセに命じられた戒めを守った」と絶賛されています。当時はアッシリア帝国が勢力を拡大して南下し、サマリアを滅ぼした(前722年)時代ですから、その危機の時代に異教の影響(および異国の影響)を排除してヤハウェ信仰の再建に尽力したことから、その改革を担い、箴言を編纂した専門職の書記たちやレビ人たちの信仰も、ヒゼキヤ王と同じだったと考えられます。
ヒゼキヤ王の死後、息子のマナセの時代には、アッシリアの影響下に下り、その宗教的伝統を受け入れてヤハウェ信仰から離れ(列王下21:1-18)、その子アモン(列王下21:19-26)もまたマナセの路線を継承しますが、アモンが家臣たちの「謀反」によって殺害され、さらにその謀反を起こしたものたちが「国の民」によって殺されてその子ヨシヤを王にすると(21:23-24)、ヨシヤ王は再び曽祖父ヒゼキヤのヤハウェ信仰を再建します。(アモンを殺害した家臣たちの立場と、彼らを殺害した「国の民」の立場はなんとも分かりにくいです。そのうち調べてみたいと思います。)ヨシヤの改革は、神殿の改築工事中に神殿で発見された律法の書(申命記の主要な部分)に基づくものでした。この申命記は、おそらくマナセの時代には排除されていたものを、ヤハウェ信仰を守る人々によって大切に保管されていたものでしょう。ヒゼキヤ王の宗教改革の時代に箴言を編纂した人々もまた、申命記的な信仰を重んじる立場で編纂を行なったと考えられます。
『箴言』という文書が、単なる格言集ではなく、ヤハウェに対する信仰の視点からヤハウェを畏れることを知恵の始めとして強調する「信仰の書」であることを、しっかりと心に留めたいと思います。