nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2021年5月20日 祈祷会の学び(イザヤ7章)

5月20日の祈祷会の学びの動画です

 先ほど終了した祈祷会の学びのライブ配信動画を、ブログでも提供いたします。


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イザヤ書7章の背景

 イザヤ書は(雅歌と違って?)、比較的クリスチャンに馴染みの深い書だと思います。クリスマス前のアドヴェントの季節には(またイヴ礼拝などでは)、たいていイザヤ書7章、9章、11章の一部が、救い主イエス・キリストの誕生を予告した預言の言葉として朗読されますし、イースター前のレントの期間、特に直前の受難週には、イザヤ書53章が、主イエス・キリストの受難を予告した預言の言葉として朗読されます。というわけで、これらの箇所は直接私たちの信仰に関連すると考えて、イザヤ書を大切な書と見なしているのです。

 それは信仰的に非常に重要な視点ではあるのですが、そのように一足飛びに結びつけて読んでしまうと、イザヤが預言の言葉を語ったときの状況が抜け落ちてしまい、その時に神様がユダ王国の人々に具体的に何を求めて語りかけたのかが分からなくなってしまいます。

 この祈祷会の学びでは、中山教会の聖書通読のスケジュールに沿って、基本的に1章ずつ読み進めますので、イザヤ書を、まずイザヤ書自体の歴史的な状況において理解し、そこで語られた言葉の元々の意味合いを味わうことを優先したいと思います。

 

ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ

 イザヤ書1章1節は、預言者イザヤが活動した地域と時代について、「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤがユダの王であった時代のことである」と記します。西暦で言うと、紀元前8世紀です。ウジヤ王は列王記ではアザルヤと呼ばれていますが(列王記下15:1-7//歴代誌下26章)、晩年は「規定の病」(律法で宗教的穢れを帯びると規定された病)にかかり、政治の表舞台から去ったことで、「王の子ヨタムが宮廷長として国の民を治めた」と説明されます(列王下15:5)。ウジヤ王の治世は紀元前787-736年ですが、晩年のヨタムに摂政期までとすれば、756年までとなります。ヨタムの治世は、この摂政時代(宮廷長)も含めると紀元前756-741年、アハズは紀元前741-725年、ヒゼキヤは紀元前725-697年です。時代はちょうどアッシリア帝国が勢力を拡大し、パレスチナの地域の国々を征服するようになる時代です。

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分裂王国時代②:預言者イザヤの活動期

 

ウジヤ王が死んだ年(前736年)

 イザヤ6章1節にある「ウジヤ王が死んだ年」は、紀元前736年ですから、アハズ王の治世となりますが、列王記でも歴代誌でもアハズは主の御心に背いた悪王とされています。列王記16章を見ると、アハズ自身が積極的にアッシリア帝国支配下に下って属国となり、わざわざダマスコまでアッシリア王ティグラト・ピレセルを表敬訪問し、そのダマスコにある神殿の祭壇の図面を貰い受けて、それと全く同じものをエルサレム神殿に作り、神殿祭儀を変更したことが書かれています。念には念を入れてアッシリアに気に入られようとしている、痛々しい姿にも見えますね。イザヤが神殿で主なる神の幻を見て、預言者としての再召命を受けたのは、この神殿改築(改悪)の直前だったのでしょうか? いずれにせよ、伝統的なヤハウェ宗教がアッシリアの異教祭儀に駆逐されつつあった時代のことだと言えるでしょう。かつて神様に仕えた信仰深いウジヤ王の死は、イザヤにとって、このヤハウェ宗教の衰退を象徴するような深刻な出来事として受け取られ、大きな危機感を抱いたのだと思います。

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アッシリア帝国の覇権(『コンサイス聖書歴史地図』30頁)

 

イザヤ7章の背景:シリア・エフライム戦争

 イザヤ7章はアハズの治世に語られた預言ですが、具体的には、迫り来るアッシリアの脅威に対して、ユダ王国の真上にある北王国イスラエル(エフライム)と、その上にあるアラム(シリア)とが軍事同盟を結んで、共同で対抗しようと画策していた時期のことです。大国アッシリアに対抗するためには、なるべく多くの国が力を結集する必要があると考えて、シリア=エフライム同盟はユダの王アハズにも参加を呼びかけますが、アハズはアッシリアには勝ち目がないと判断したのでしょう(多勢に無勢?)、この弱小国連合軍には参加せず、むしろアッシリアにすがって、属国として生き延びることを選択したようです。

 イザヤ7章は、この誘いを拒んだユダに対して、怒ったシリア=エフライム連合軍が攻めて来るという緊迫した状況を反映します。アラムとイスラエル(シリアとエフライム)が同盟を結んだという知らせに王も民も動揺したと書かれている通りです(イザヤ7:2)。

 神がイザヤを通して語った言葉は、目に見える軍事同盟の脅威に怯えるあまり、目に見える軍事大国アッシリアにすがるのではなく、目に見えないが何よりも確かな主に信頼することを招く言葉でした。次の王が生まれるまでには、アラム(首都はダマスコ、王はレツィン)も、エフライム(=北イスラエル:首都はサマリア、王はレマルヤの子ペカ)も、脅威ではなくなる(アッシリアに滅ぼされる)ということで、この生まれてくる子は「私たちと共に〔おられる〕神」を意味する「インマヌエル」(インマーヌー・エール)と呼ばれるのです。

インマヌエル預言の意義

 イザヤ7章のこの預言が、具体的な政治的軍事的脅威の状況において語られた言葉であることをまず理解することが大切だと思います。主イエス・キリストが「インマヌエル」と呼ばれるのも、同様に、政治的軍事的脅威であるローマの支配下(影響下)にある時代において語られた言葉でした。現代も、日米同盟の強化や中国との関係改善など、具体的な政治的軍事的状況下で何が最善の選択肢かを巡って、メディアでは様々な議論がなされています。インマヌエル預言は、かつてそうだったように、現代においても、そうした具体的な状況に対して語りかけるものなのです。信仰と政治を切り離す理解は、この預言の言葉を単なる精神安定剤にしてしまうのではないでしょうか?

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano