nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2021年8月1日 礼拝

8月1日(聖霊降臨後第十主日)の礼拝動画です

 先ほど終了した礼拝のライブ配信動画を、ブログでも提供いたします。


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ファリサイ派の人と徴税人」の譬え

ファリサイ派のイメージ

 この譬え物語は、実は現代の私たちにとって厄介です。というのも、キリスト教の長い伝統の中で、ファリサイ派に対する悪いイメージが染み付いているからです。福音書では頻繁に主イエスと論争している姿が強調され、特に、陥れようとしたり、悪巧みをして論争を仕掛けてくる悪意ある敵対者のイメージが強いと思います。さらに、宗教改革の時代に、マルティン・ルターが当時のカトリック教会の間で行われていた贖宥状の販売や聖人崇拝を激しく批判する中で、聖書に描かれているユダヤ教も同じように「律法主義」また「行為義認」の間違った教えというイメージを植え付けたという経緯があります。

 聖人崇拝とは、ざっくり説明すると、殉教などにより神の前に有り余るほどの功績を持っている人(つまり、聖人)の、その余った功績を譲り受けることによって、凡人がスムーズに天国に移行できるようになるシステムです。人は地上で生きている限り罪を犯すのですが、神との関係では永遠の赦しを得ても、地上では罪の償いはきっちりしないといけないという理解が根底にあり、地上で償いが終わっていない部分については、死後、天国に行く前の段階として、その未完了分に相当する期間「煉獄」と言われる場所で焼き清められる必要がある、と信じられていました。それで、全ての聖人を記念する11月1日の「万聖節」には、聖人の聖遺物(遺髪、遺骨、衣服など)が祀られている聖堂に、人々がこぞって押し寄せ、それらに触れて聖人に祈りを捧げることで、その余った功績を譲り受けようとしたようです。贖宥状の場合、贖宥状を買うことは「献金」として、購入者の「功績」と見なされたようです。「功績」は、本人のものであれ別の人(聖人)のものであれ、人間の行いですので、人間の行為によって義と認められようとする考え方、ということになります。つまり「行為義認」です。「律法主義」という場合、聖書の律法に記された神の御心を行うことによって、義と認められようとする、という考え方です。「行為義認」も「律法主義」も、宗教改革の時代に、ルターが当時のカトリック教会の姿勢を非難する中で使用した用語ですが、ルターはそれを、1世紀(新約聖書の時代)のユダヤ教にも当てはめたのです。

 というわけで、キリスト教(特にプロテスタント)の影響下にある文化圏では、ファリサイ派について、上記ようなネガティブな印象が「共通認識」として広まっていると言えるでしょう。日本も、明治維新キリスト教文化の上澄みだけは受け取っていますので、ある程度このネガティブなイメージが共有されていると言えるかもしれません。

1世紀のファリサイ派の実像

 これに対して、主イエスの譬え物語をその場で聞いていた人たちは、このネガティブなイメージを持っていなかったと考えられます。むしろ、ファリサイ派は律法の隅々まで、生活の隅々において実践することを自分たちの宗教的献身と考えていた人たちですので、少なくとも人々から尊敬されていたと考えられます。(多少、細かくて面倒臭がられていた面もあるかもしれませんが、、、)。特に、ファリサイ派の人たちのこだわりがすごかったのが、十分の一の献げ物です。聖書には、祭司が聖なる場所で食べるものなど、献げ物の中の祭司の取り分について定めていますが、その規定と、十分の一の献げ物の規定を総合して一つの体系として実践していたのがファリサイ派だったようです。紀元200年頃に編纂された『ミシュナ』という律法の解釈の伝統をまとめた文書の中に、その規定が詳細に記されています。

10分の1の献げ物

 最初に収穫全体の中から祭司の取り分(収穫全体の50分の1程度に相当:テルマー・グドラー/大献納物)を献げ、その後に、収穫の残りから10分の1を取り分けて、それぞれの用途に充てるのですが、最初の10分の1(マアセル・リショーン)はレビ人に献げられます。マアセル・リショーンを受け取ったレビ人は、その中から10分の1を祭司に献げます(テルマト・マアセル)。このマアセル・リショーンは、新約時代には、全て祭司の取り分になっていたと説明する文献もありました(その場合、レビ人はどうなるのでしょう???)。

 その他に、聖書時代は7年サイクルで時間を計りますので、その第1、2、4、5年目には、10分の1を取り分けておいて、エルサレム神殿で行われる巡礼祭に参加する費用に充てます。巡礼祭は、神殿での献げ物の一部(お肉)を、献げた巡礼者が一族皆で食するという祝祭の側面がありますので、この10分の1の献げ物は、どちらかというと自分たちのためのものと言えるでしょう。7年サイクルの3年目と6年目は、10分の1の献げ物が貧しい人のために使用されます。なかなか良い制度だと思います。

デマイ(疑念)

 それはともかくとして、ファリサイ派がこだわったのが、テルマト・マアセル(レビ人の取り分であるマアセル・リショーンから祭司に献げる10分の1、あるいはマアセル・リショーン全体)です。これをきちんと献げないまま、市場で売り買いされる生産物が出回っているのではないかと、恐れたのです。彼らは、祭司の取り分に(知らずに、とはいえ)手をつけたとなると、重大な律法違反になると考えましたので、疑念(デマイ)を抱いた生産物を購入した場合、その中から、自発的に10分の1を献げ(直し)たというわけです。

 ある面では、一般の人たちがきちんと献げるべき物を献げていないのではないかと疑いの眼差しを向けるということは、自分たちの仲間以外を見下す、ということだと言えるかもしれませんが、ファリサイ派の人たちが律法遵守にこだわっていたことは広く知られていて、それゆえに基本的には尊敬されていたと考えられます。

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十分の一の献納物

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十分の一の「疑念」(デマイ)

 

徴税人の実像

 他方、徴税人はといえば、(ルカ18章はそろそろエルサレムに近づいているという想定ですので)ローマ帝国への税金を徴収する業務を請け負っていた人たちです。ヘロデ大王の息子の1人、アンティパスが領主として(ローマから委託されて)統治していたガリラヤでは、徴税人は、当然ながらローマではなく、アンティパスに対する税金の徴収業務を請け負っていました(もちろん、それでも間接的にはローマの支配下にあったと言えるのですが、、、)。それで、徴税人はまず、ユダヤ民族を裏切ってローマに仕えている人々として、一般的には蔑まれていたのです。さらに、徴税人はローマに対する税金を滞りなく、また不足なく徴収することが要求されていて、その要求に見事に答える優秀な業者がその業務を請け負うことができましたので、税金を徴収される民衆の側としては、彼らのことを情け容赦なく税金をむしり取っていく血も涙もない人々のように感じていたでしょう。またそれ以上に、当時の習慣として、ローマ側の定める税額に上乗せして徴収し、その差額分を懐に入れて財を成すことが一般的でしたので(ルカ3:12-13参照)、一般民衆からすれば、徴税人は自分たちの財産を奪い取る者と見なされていたのでしょう(現代なら業務上横領?)。つまり、当時の人々にとって、徴税人は何重にも重なって罪人だったわけです。

 「ファリサイ派の人と徴税人」の譬え物語を理解する際の最も重要な前提は、この「ファリサイ派=義人/徴税人=罪人」という、広く共有されていた認識です。

譬え物語のドンデン返し

 この譬え物語において、主イエスはこの共通認識を根底から覆します。この登場人物のファリサイ派の人は、当時人々から絶大な尊敬を集めていたファリサイ派のイメージを代表するように描かれていますが、その彼が、「義とされなかった」と評価することで、主イエスは人々の期待を裏切るのです。また、人々が罪人と見なし、神の憐れみを受ける資格がないと考えていた徴税人が、神に対して憐れみを願い求めた際に、その祈りが聞かれて「義とされた」と告げることによって、主イエスは同じく人々の期待を裏切るのです。

 

*とりあえずここまでで区切ります。

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano