nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2021年11月21日礼拝動画

11月21日の礼拝動画を差し替えました

 日曜日の礼拝は、ライブ配信でノートパソコンの内蔵カメラにPAからの音声をUSBで繋いで配信したのですが、あらためてビデオカメラで撮影した動画を編集して、差し替え版をYouTubeにアップロードしました。差し替え版は、(少なくとも現時点では)ライブ配信の画質や音声よりも良い状態のものを提供できることと、編集によって聖書箇所などの文字情報を追加できることが、大きなメリットでしょう。ただ、ライブ配信自体の画質と音質を向上することも必要ですので、いろいろとトライし続けたいと思います。

 ライブ配信動画の視聴回数は、11月23日午前7時の時点で36回でした。今回も、ライブ配信の動画は削除いたします。

 


www.youtube.com

 

ヘロデ時代の壁(嘆きの壁

 説教で触れた紀元70年のローマ軍によるエルサレム神殿の徹底的破壊について補足説明いたします。ヘロデによる改築工事は、もともとあった神殿の丘を大規模造成によって倍近い広さに拡張するという途方もないものでしたから、工事期間も長期にわたり、紀元前20年に始まり、完成はその約85年後の紀元64年でした。おそらく、主イエスの十字架刑が行われた紀元30年の段階で、神殿本体(聖所、祭壇)も、いわゆる「異邦人の庭」と呼ばれる広い境内も完成していたでしょう。いずれにせよ、部分的には「新築ピカピカ」だったでしょうし、早くに完成していた部分も、ヘレニズム建築による壮麗なものだったようです。特に、使われている石は、エルサレムストーンの中でも、「メレケ」と呼ばれる種類の石灰石で、ヘロデは特に大きなサイズの石を採掘場から切り出させて使用したようです。

 このヘロデ神殿の現在残っている部分は、「嘆きの壁」と呼ばれる西側の壁の地上7段目までの部分です。ちなみに、8-11段目は7世紀にウマイア朝によって追加され、紀元691年にイスラムの聖地として「岩のドーム」が建設されました。その上の12-25段目は19世紀オスマン帝国の時代に追加されたということです。写真を見ても、ヘロデ時代の石の大きさが際立っていることがわかりますね。

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エルサレム神殿:ヘロデ時代の石壁

Western Wall - Wikipedia

さらに、南側にはヘロデ時代の神殿入り口にあった大階段が残っています。

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ヘロデ時代の神殿入り口の大階段

Archaeological remnants of the Jerusalem Temple - Wikipedia

 ルカ21:6(マルコ13:2、マタイ24:2)にある、「積み上がった石が一つ残らず崩れ落ちる」という表現は、「徹底的に破壊し尽くされる」といった意味の表現ですので、7段もヘロデ神殿の石が整然と積み重なっていることや、二つの大階段が残っていることに対して、特に心配する必要はありません。もちろん「ある人たち」(マルコとマタイでは弟子たち)が具体的にどの石を指して「見事な石」と言ったのか、主イエスが具体的にどの石を指して「一つ残らず崩れ落ちる」と言ったのか、聖書の記述で特定することはできませんから、「紀元30年の時点で積み上がっていた石は文字通り一つ残らず崩れ落ちた」と強弁することもできるかもしれませんが、その必要はないと思います(聖書って、そういう読み方をするものではないので…)。

 ところで、ヘロデ大王は父親がイドマヤ人(エドム)、母はナバテア人(アラビア)ということで、ユダヤ人からは純粋なユダヤ人と見なされず、それを相当気にしていたようです。それで、ハスモン王朝の家系のマリアムメと(政略?)結婚することで、王としての正統性を示そうとしたということです。ユダヤ人に対して、宗教熱心であることを認めてもらうことにも気を使ったようで、実際、エルサレム神殿の工事の際には、祭司たちとの間に合意を結んで、その要求を受け入れたということです。具体的には、工事期間中も日毎のささげ物(祭儀)が中断されることなく継続される必要があり、また神殿の聖域(本体)については祭司が工事を担当することで、宗教的穢れから聖性が守られるように最新の注意を払う必要がある、ということでした。その割りには、海辺のカイサリアなどでは、ローマ皇帝のための神殿をちゃっかり建てていますので、本心はどちらか想像がつくというものです。なにせ彼は、最初はマルクス・アントニウス(マーク・アントニー)に忠誠を誓い、紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウスが敗北すると、今度は勝った方のオクタビアヌス(=アウグステゥス)に忠誠を切り替えることで、一貫してローマの後ろ盾を得て、ついにはローマから「ユダヤ人の王」という称号を与えられて王にまで登り詰めた人ですから。現代も、切り替えの早い政治家はいますが、この辺り、ヘロデは見事な嗅覚を持っていたのでしょうね。

 (歴史がお好きな方は、ウィキペディアでも結構な情報が得られますが、岩波現代文庫の佐藤研『聖書時代史:新約篇』(岩波書店、2003年)がオススメです。ちなみに、上の写真は2枚ともウィキペディアです。)

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