遅くなりましたが、祈祷会の学びの動画です
今回もまた、祈祷会の学びの配信が終わってからブログに動画を埋め込むまでに、時間が経ってしまいました。遅ればせながら、11月25日にスケジュール配信した祈祷会の学びの動画を提供いたします。
悔い改め
前回は、最後のあたりでホセア書6章にある「偽りの悔い改め」を取り上げました。
さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂いたが、癒し
我々を打たれたが、包んでくださる。
主は二日の後に我々を生き返らせ
三日目に起き上がらせてくださる。
我々は主の前に生きる。
我々は知ろう。
主を知ることを切に求めよう。
主は曙の光のように必ず現れ
雨のように我々を訪れる。
地を潤す春の雨のように。
(ホセア6:1-3 聖書協会共同訳)
この言葉には「偽りの悔い改め」という見出しが付けられていますが、それは、すぐ後に続く「あなたがたの慈しみは朝の霧/はかなく消える露のようだ」という主の言葉によって、この「悔い改め」が覆されていることによって、それが主なる神の御心とは逆であることが明らかだからです。
これに対して、14章では、主なる神が「あなたがたは言葉を用意し/主に立ち帰って、言え」という言葉をもって、民が発するべき「真の悔い改め」の言葉を教示します。
どうぞ罪をすべて赦し
良いものを受け取ってください。
私たちは唇の実を献げます。
アッシリアは我々の救いとはなりません。
我々はもはや、馬には乗りません。
自らの手の業にすぎないものを/私たちの神だとは二度と言いません。
ただあなたによってこそ/みなしごは憐れみを受けるのです。
(ホセア14:3b-4 聖書協会共同訳)
この「真の悔い改め」では、それまで頼りにしていた大国や軍事力、また異教の神々(偶像)が救いではないことを告白し、主なる神に立ち帰ることが明言されています。具体的な罪を明示することで、6章のうわべだけの言葉との違いが際立ちます。
人間は、自分に都合の良いように物事を解釈する傾向がありますので、6章の「偽りの悔い改め」は、遠い昔の別の民族の問題として片付けるわけにはいかないでしょう。自分自身の信仰がうわべだけのものにならないよう、気をつけたいものです。