本日の礼拝週報です
2023年12月3日(降臨節第一主日)の週報をお届けします。
お知らせ:11月19日の礼拝動画
先日、編集した11月19日の礼拝動画をアップロードしましたので、音声が聞き取りづらかったライブ配信の動画の方は削除いたしました。ちなみに、同時視聴者数は6名でした。
祈祷会の学びの聖書通読箇所がネヘミヤ記8章だったので、過去のブログで解説した記事があったのではないかと思い、事前にチェックしたところ、実はブログに記事を書くとお約束していながら、そのままになっていたことがわかりました(なんと、3年越しの発見!)。
・2020年8月27日の祈祷会の学びがネヘミヤ記9章で、その日のブログに、「また後ほど、ネヘミヤ記の解説をブログにアップしようと思いますが、とりあえず動画を提供いたします」と記しています。
・翌週の2020年9月3日の祈祷会の学びはエステル記3章でした。その日のブログでは、「先週の学びのブログは、もうしばらくお待ちください」との小見出しのもと、「先週のネヘミヤ記の学びの時に、ブログでも学びの記事を提供すると予告いたしましたが、その記事はもうしばらくお待ちください」と記しています。
・その翌週の2020年9月10日の祈祷会の学びは、聖書通読箇所としてはヨブ記に入っていたのですが、エステル記の後半を扱い、ブログに「後味の悪いエステル記」という記事を書きました(そちらは、後日エステル記のところで再録しようと思います)。そのブログ記事の最後に、丸括弧で、「(エズラ、ネヘミヤの解説ブログは、もうしばらくお待ちください。)」と記しています(政治家の常套手段のように先送りしていますね)。
・その後、祈祷会の学びは聖書通読箇所に従って10月22日までヨブ記、29日からは詩編に入り、それっきりエズラ・ネヘミヤの解説ブログは忘却の彼方に追いやられていったようです。
・ただし(?)、11月1日の礼拝説教がルカ福音書10章の「善きサマリア人」の譬えだったこともあり、その日のブログに、ユダヤ人とサマリア人の対立の背景を解説する記事を書き、その中でネヘミヤ記にも多少触れていますので、ネヘミヤ記の関する部分までのところを以下に再録いたします。
(2020年11月1日のブログより)
旧約聖書の列王記上12章を見ると、ソロモン王の時代に重税に喘いだイスラエルの北10部族の民は、ソロモン王の死後、息子レハブアムに対して減税を嘆願します。それに対して、年長の家臣たちはその要求に応えることを進言しますが、レハブアムと同世代の家臣たちは、一つ妥協すると調子に乗って要求をエスカレートさせるからと言って、その嘆願を拒絶し、むしろ父王よりも厳しい態度で臨むことを進言します。レハブアムは、同年代の家臣の声に従い、厳しい態度で臨んだところ、北10部族は南の2部族と決別して、ヤロブアムを王に立てて、シェケムを中心とするイスラエル王国を成立させます(12:1-25)。ヤロブアムは、エルサレム神殿へのアクセスを失ったことで民の求心力が低下することを恐れ、北王国の南北の拠点であるダンとベテルに金の子牛の像を設置し、二大聖所とします(12:26-33)。その結果、南王国ユダの人々からは、偶像崇拝に手を染めた宗教的に堕落した人々と見なされるようになります。
また、紀元前722年に北王国イスラエルがアッシリア帝国によって滅ぼされると、同一言語同一人種の人々が結託して反乱を起こさないようにするため、強制的に人種入替政策を行ったことで、次第に民族的な混交が進み、民族的にも純粋なユダヤ人でないと見なされるようになります(列王記下18:9-12)。
その後、アッシリアの危機を辛うじて生き延びていた南ユダ王国も、紀元前587年には、アッシリアに代わって世界を支配するようになったネオ・バビロニア帝国によって滅ぼされ、人口の主要な部分がバビロンへと強制移住されられてしまいます(列王記下25:1-21)。70年後に、バビロンに代わって世界を支配するようになったアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス王は、寛容政策を進め、バビロン捕囚で強制移住させられていたユダヤ人がエルサレムに戻って、都と神殿を再建することを許可し、バビロンが神殿から略奪した財宝や祭具も返還します(エズラ1:1-11)。それによって、ペルシアの行政区となったユダの地に帰還した人々は、神殿再建を進めますが、アッシリアの人種入替政策以来その地に住んでいたと主張する人々が神殿再建への参加を申し出たところ、その参加を拒み、双方がペルシア政府に訴えるなど、攻防が続き、長期に渡って神殿と都、および城壁の再建が停滞することになります(エズラ4:1-24)。ネヘミヤ記には、アルタクセルクセス王の第20年にネヘミヤが再建工事のために長官として派遣された時期の妨害についての記述がありますが、そこでは、サマリア人が妨害者として言及されています(ネヘミヤ3:33-35)。
(以上、2020年11月1日のブログからの一部再録)
というわけで、「本日改めてエズラ記・ネヘミヤ記あたりの学びを提供します」、と言うことができれば良いのですが、まだちょっとバタバタしていて、ゆっくりブログの記事を書く時間が取れません。また近年、ペルシア時代のイェフダ(ユダ)に関する研究がかなり進んでいますので、その辺りの知識もきちんと補充してから記事にしたいと思いますので、もうしばらくお待ちください。
先週の11月19日の礼拝は、ライブ配信時に音量にかなりバラツキがありましたので、ビデオカメラで録画した動画の音量を調整して編集したものを、あらためてYouTubeにアップロードいたしました。こちらでも提供いたします。
克也牧師のぼやき
教会の音響機材も年数が経っていて、原因不明の不具合がいろいろと目立つようになりました。とはいえ時代はSDGs、もう暫く大切に使い続けたいと思います。ちなみにSDGsですが、キリスト教徒はどうしてもこの略語を Soli Deo Gloria(神のみに栄光)と読んでしまいます。小文字のsがついているので複数形、ということで、大勢のクリスチャンが "Soli Deo Gloria!" と連呼している情景になるでしょうか?
音響といえば、先日の召天者記念礼拝の時に聖歌隊が賛美し、その音声をクリアにお届けしようと思い、聖歌隊の前にコンデンサーマイクを2本立ててその音声をミキサーに送って配信を試みたのですが、繋ぎ方を間違えていて、結局うまくいきませんでした。それで後から音量を調整して編集した動画をアップロードしたのですが、クリスマスには聖歌隊が賛美しますので、その時には「リベンジ」(あまり聖書的な言葉ではないですが)で、正しく繋いでクリアな音声で配信できるようにいたします。うまくいったら拍手喝采、うまくいかなくても悪しからず。
2020年8月20日のブログで、その日の聖書通読箇所のネヘミヤ記2章を含めて、エズラ記6章あたりからの状況を説明する記事を書いていますので、ここに再録します。
次週が11月23日の祝日で祈祷会の学びの配信をお休みしますので、ちょうど次週の箇所のエズラ記からネヘミヤ記にかけてと重なる内容になっています。特に今日の箇所である神殿再建の妨害のあたりを説明していますので、参考にしていただけますと幸いです。
捕囚からの帰還と再建(2020年8月20日ブログ記事の再録)
ペルシア王キュロスの寛容政策のもとでのバビロン捕囚からの帰還は、紀元前539年にキュロス王がバビロンを征服したことにより、実現しました。その後の「再建」は、最初は瓦礫となっていた神殿の丘の聖所の再建に始まりますが、それは、神殿祭儀の再開でもありました。それを担ったのが、歴代誌を書き記したレビ人たち、ということになるでしょう。神殿の建物は、ソロモンが建て、その後、ヒゼキヤなどによって修理拡張された壮麗な神殿を記憶している世代の人たちからは、嘆かわしいほどの小さなものだったようです。愛用の『コンサイス聖書歴史地図』(いのちのことば社、2019年)には、その再建された神殿の想像図が載っていました。
しかし、「再建」は単なる神殿の建物や祭儀の再建だけでは終わりません。エズラ記4章には、神殿の建物が再建されたキュロス王の時代から3代目のダレイオス王の時代まで、その地域にいた住民による妨害が続いたことが記されています。この人たちは、アッシリア帝国による北王国イスラエルの滅亡(紀元前722年)の時の強制移住(民族入れ替え政策)によって、この地に住み着いた住民であると説明されます(4:2)。南王国ユダの滅亡後に、サマリアから南下して住み着いた、ということかもしれません。何れにせよ、彼らからすれば、捕囚から帰還してきた人々は、「新参者」、つまり自分たちよりも後から来た連中、ということになりますので、自分たち抜きで勝手なことはさせない、というような思いだったのかもしれません。
ともかく、この先に住み着いていた住民は、神殿再建に加わることを要求します(4:1-2)。これに対して、帰還した民は、自分たちの宗教的(また民族的)純粋さを維持することが重要と考えたのか、彼らの参加を拒否します(4:3)。これが長きに渡る妨害を誘発することになります。(個人的には、仲間に入れてあげれば良かったのに、と思ったりもします。)
ただし、この地域は、ペルシア帝国の行政区域である「ユダ」という区分ですから、ペルシア帝国の行政長官の管轄であり、一部の住民の思惑で何かを決めるという訳にはいきません。それで、それぞれが行政側に訴えかけて、自分たちに有利な決定を勝ち取ろうとしたようです。4章5節には、先に住み着いていた住民たちによる「参議官」の買収が記され、その「告訴状」の内容や、その結果の再建工事中止の経緯まで記されています(4:6-24)。ただし、この告訴状は、4章6節では第4代クセルクセス王(紀元前486-465年)の治世のはじめに書かれたとあり、実際の告訴状の内容を紹介する部分では、第5代アルタクセルクセス王(紀元前465-424年)の時代となっていますので、王が変わるたびに告訴状を送って妨害工作を続けたのか、そもそも街自体の再建はあまり進んでいないところに、アルタクセルクセス王の時代になって本格的に妨害工作が始まったのか、詳細は不明です。何れにせよ、バビロン捕囚の間にエルサレムに住み着いていた住民と、捕囚から帰還して来た人々の間に、相当根深い対立が生じていたことは確かでしょう。
ちなみに、『コンサイス聖書歴史地図』に当時のユダの区分が書かれていますが、緑色のごく限られた範囲であることがわかります。
当時のエルサレムの街自体は、バビロン捕囚の時に徹底的に破壊されたままの廃墟でしたが、上記のようにその程度はともかくとして、キュロス王の時に始まりアルタクセルクセス王になるまで続いた妨害工作によって、エルサレムは廃虚のまま、100年近く放置されたことになるでしょうか? エズラもネヘミヤも、この城壁=エルサレムの街の再建に関わった指導者ということになります。城壁が再建されたあたりの想像図です。右上(奥)の神殿の丘から下に伸びる、城壁に囲まれた細長い部分が再建された街で、その西に広がる地域(かつてヒゼキヤの時代にはずっと西側に街が続いていた)は、すっかり荒れ果てた廃墟のままになっているのがわかります。
律法を中心に据えた信仰の再建
次週あらためて読み進めますが、エズラの役割は、エルサレムの街の再建以上に、律法を中心とする人々の信仰の再建でした。神殿の建物と祭壇が再建され、神殿祭儀は復活したとしても、ただ単に動物犠牲や礼拝が形の上で続けられることが再建とは言えない、ということでしょう。人々の信仰そのものが、律法に記されている神の御心に沿ったものに再建される必要があったのです。ただし、その信仰の内容については、異教徒との結婚の解消による民族的純粋性の強調など、現代の私たちが注意して考えるべき点もあると思います。
11月5日の礼拝は、途中で礼拝堂内のスピーカーからの音が聞こえなくなり、マイクの音声が入っていないような気がして気になっていたのですが、YouTube Studio から動画ファイルをダウンロードして確認したところ、やはり途中のかなり長い時間、音量が聞き取りにくい程のレベルまで低下していました(蚊の鳴くような…?)。それで、低くなっている時間帯の音量をマニュアルで調整して、だいたい一定の音量になるように直しましたので、その修正版をあらためてYouTubeにアップロードしました。というわけで、また近日中に元のライブ配信動画の方は削除することにいたします。ライブ配信時の最大視聴数は9名でした。
ちなみに音量の確認は、ダウンロードしたファイルをiMovieに読み込んで、イヤフォンで実際に聴きながら、そこに提示される音声の波形を見て確認しました。
19日の礼拝でも、やはり途中で礼拝堂内のスピーカーの音が出ていない時間帯がありましたので、何か機材(ミキサー? ケーブル類?)のトラブルで(といっても原因がわからないのですが)、一時的に音量が極端に小さくなってしまうようです。というわけで、19日は説教しながら接触が悪いのが原因かと思って、マイクの上や下を触ったり、接続部分を軽く叩いてみたりと、いろいろ試しましたが、その時点では何も改善せず、諦めてしばらく話し続けているうちに突然音量が大きくなり、今度はマイクから少し離れて話すようにしたりと、大変でした。(でも、ちょっと挙動不審ですね。)
今後も同じ問題が継続するようなら、何か機材を取り替えるとか、抜本的な対策を講じないといけなくなりますね。
ともあれ、ブログでも修正版を提供いたします。
次週は主任牧師が不在となりますので、一足先に週報を提供いたします。