nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2024年2月11日週報

本日の礼拝週報です

 2024年2月11日(大斎節前主日)の週報をお届けします。

2024年2月11日週報

お知らせ ①:今週の祈祷会の学びはお休みします

 今週15日の祈祷会の学びは、配信をお休みします。私の勤務先である東京神学大学は後期の成績提出期限が15日の正午で、午前中に成績を提出しなければならないため、いつもの10:30に不在となるためです。事前に採点を終わらせて提出できれば良いのですが、いつもぎりぎりになるのと、13日と14日は入学試験のため関係者以外キャンパスに立ち入れないことから、私も15日まで立ち入れないという事情もあります。木曜日が5回ある月は第5週をお休みすることになっているのですが、そのようなわけで、2月は第5ではなく第3木曜にお休みすることになります。ご了承ください。

 

お知らせ ②:日本ホーリネス教団2024年春キャンプ

 今年の春キャンプは、教団の家族年会の期間中の3月28日(木)10:00-16:00に、会場であるワークピア横浜201でワンデイキャンプとして開催されます。対象は新中学1年生から青年で、参加費はお昼ご飯代込みで2,000円です。お申し込みは3月17日までに、Googleフォームにてお申し込みください。(ちなみに、1頁目には「料金 2,000円 昼食代・保険代含む」と記載されていますが、2頁目には「今回のキャンプは日帰りですのでキャンプ保険には加入いたしません。保険が必要と思われる場合には、各自で保険のご加入をお願いいたします」と注意書きがありますので、料金の2,000円には「保険代」は入っていないことになりますね。)

docs.google.com

 

2024春キャンプチラシ

2024春キャンプチラシ(1頁)

2024春キャンプチラシ(2頁)

 

2024年2月4日週報

本日の礼拝週報です

 2024年2月4日(顕現後第五主日)の週報をお届けします。

2024年2月4日週報

お知らせ:ホーリネスオンラインセミナー

 2月18日午後3時より、ホーリネスオンラインセミナーが開かれます。今回は美術系で、タイトルは「ユダヤ人画家マルク・シャガールが描く『聖書のメッセージ』」です。講師は(元)日本画家で、ニューヨークで絵画の修復の仕事をしていた経験もある美術の専門家ですので、ぜひ楽しみにしてください。ちなみに、シャガールといえば、私の最初の留学先から東に車で3時間のところにあったシカゴ美術館に、青を基調とした「アメリカ・ウィンドウ」というステンドグラスがあり、他にも『白い磔刑』の絵がありました。美術館の外の街中にも、シャガール作のカラフルなモザイク画のオブジェ(立方体?)がそびえていました。『白い磔刑』を見ながらいろいろと考えさせられました。

ホーリネスオンラインセミナー:2024年2月18日

 

本日の礼拝動画

後日、差し替え動画をアップロードします

 先ほど終了した2024年1月28日の礼拝のライブ配信動画ですが、途中、ビデオカメラのメモリーカードの容量が一杯になってしまい、一部、操作画面が配信されていました。説教に入るお祈りの前の部分ですが、やはり気になりますので、後日修正したものをあらためてアップロードいたします。YouTubedではライブ配信の動画をそのままご覧になれますが、修正版をアップロードした後に、ライブ配信の方は削除することになります。

 もうしばらくお待ちください。m(_ _)m

2024年1月28日週報

本日の礼拝週報です

 2024年1月28日(顕現後第四主日)の週報をお届けします。

2024年1月28日週報

お知らせ:能登半島地震

 日本ホーリネス教団の能登半島地震災害支援対策委員会からニュースの第1号が届きました。

能登半島地震災害対策委員会ニュース第1号

 

お知らせ:CS教師研修会(2月12日:月曜)

 CS教師研修会が東京中央教会を会場に対面とオンラインのハイブリッドで開催されます。申込締切が1月28日となっていますので、参加される方は以下のURLにてお申し込みください。参加費は1,500円です。

docs.google.com

CS教師研修会:2月12日(月)13:00-16:30

 

2024年1月21日週報

本日の礼拝週報です

 1月21日(顕現後第三主日)の週報をお届けします。

2024年1月21日週報

お知らせ

 日本ホーリネス教団は、能登半島地震の被災者への支援として、緊急支援対策室を窓口として支援献金を募ることになりました。当教会でも、次週1月28日の礼拝後の報告時に、支援献金を募り、集まった金額をホーリネス教団緊急支援対策室に送金いたします。オンラインで礼拝に参加している方々は、下記口座に直接ご献金くださるようお願いいたします。

  郵便振替:00190ー4ー545635

  口座名:日本ホーリネス教団緊急支援対策室

なお、集められた献金の95%を被災者支援に、残りの5%は緊急支援基金に繰り入れて今後の活動に備えることになるということです。ご了承ください。

 また、今回の地震の被害が甚大であることを考えますと、支援献金1回だけでなく、長期にわたって継続的な支援が必要になります。コロナ以降、一般のボランティアも全国各地からというわけにいかなくなり、地域の中から募る状況が続いていました。今後どのようになるかわかりませんが、被災地までの経路が限られており、唯一の道路が複数箇所で寸断されている現状では、すぐに一般ボランティアを迎え入れる状況にはならないかもしれません。それでも、祈りつつできる支援を続けていきましょう。

2024年1月18日祈祷会の学び:補足説明

先ほど終了した祈祷会の学びの補足です

 祈祷会の学びの中で「応報思想」についてお話ししましたので、少し補足いたします。ヨブ記を読むにあたって参照している図書は、以下のものです。

 

ヨブ記」並木浩一訳・注『旧約聖書ヨブ記 箴言」(岩波書店、2004年)、1-175頁。

並木浩一「ヨブ記解説」『旧約聖書ヨブ記 箴言」(岩波書店、2004年)、307-358頁。

並木浩一「対話のドラマトゥルギー:ヨブと神」、旧約聖書翻訳委員会編『聖書を読む:旧約篇』(岩波書店、2005年)、179-212頁。

並木浩一『ヨブ記注解』(日本キリスト教団出版局、2021年)。

 

上記『ヨブ記注解』の「序論」(15-79頁)の「5. ヨブ記のテーマ」(24-52頁)の中で、「5.1. 苦難」(24-29頁)、「5.2. 応報思想」(29-35頁)、「5.3. 神義論」(35-41頁)を参照しました。

 

5.1. 苦難:

 苦難をどのように理解するか、苦難にどのように対応するかという点について、一方ではそれを合理的に説明し、受け入れる態度が紹介されます。「西方世界、厳密に言えばメソポタミア以西の文明圏では、ストア派に代表されるように、情念を排除して自然本性の合理性を信じ、正しい論理によって苦しみを受容する試みがなされた。それは知的エリートの姿勢であって一般化しなかった」(25頁)。ヨブの3人の友人たちは、この苦難の合理的説明の立場を代表します。これに対して、「ヨブの場合、苦難は神の意志との関わりで意味づけるべきものであった。彼は友人たちが説く苦難の合理的な解釈には徹底的に抵抗した」、と説明されます(26頁)。「ヨブの苦難は徹底して、彼と神との関係性の問題であった」(27頁)のであり、「高潔さを貫いてきた自己に下った過酷な災厄」は、「神に由来するものである」ゆえに「神の不当行為」であり、神がその災厄を下した理由を一切説明せず、「対話が一方的に閉ざされた」ことは、ヨブにとって「神の正義」が「無意味」となり、「神が神でなくなり、創造世界もまた存立の根拠を失い」、「彼が生存する意味そのものを脅かす切羽詰まった問題」でした(26-27頁)。

 

5.2. 応報思想:

 友人たちは、このヨブの苦難をヨブが犯した罪(悪)に対する正当な罰として合理的に説明することを試みます。それは「応報思想」ということですが、友人たちの応報思想が個人単位での「善因善果、悪因悪果」として完結するのに対して、ヨブが自らの潔白の主張の根拠とするのは、「社会性を持った正義の観念」に基づくものであり、友人たちとの議論は噛み合いません。

 両者の違いをより詳しく見てみましょう。友人たちがヨブを責め立てる根拠の応報思想では、神的法則として「必然性を伴った『原理』(theory)」となっているため、現実世界の不正義を前にして、神の正義を弁護するためには、「神による応報は超自然的に行われ、確実であるという『共同幻想』に生きるしかなくなります。これに対して、ヨブの側の社会性を持つ方の応報思想では、「『善には善が対応する』という社会正義は、社会の『原則』(principle)であり、神も〔この原則を〕尊重する」のです。この「応報原則」は「必然」ではなく、社会を構成する「人々の自由な判断と行為」によって「現実化」されるものとされます。この場合、神も人間も等しく、「自由な判断に基づいて判断し、行為する」のであり、決して「機械的に判断を下して行動しない」とされます。友人たちの主張の根拠である「応報原理」の方が個人で完結するのに対して、ヨブの主張の根拠である「応報原則」が社会性を持つという違いについては、そこに神また人間の自由が想定されているかどうかの違い、ということになります。

 ヨブの側の応報原則について、少し引用してみます。(以下、引用)

共同体は、共同体に寄与する人物には名誉を帰し、重大な悪を行った者には相応の制裁を行う。それを正当とする原則を人々が信じ、その価値観を共有するとき、その共同体は「法共同体」として存立している。…敬虔な善人には神から幸せが、悪人には不幸がもたらされて然るべきである。この宗教的・道徳的観点から見ての「かくなされて然るべし」という意識がイスラエルを含む西方世界では「正義」の観念を育て、これを安定的に実現し、維持するための「法」および法思想を生み出した。…イスラエル民族は、ヤハウェが正義を欲する神であり、契約を尊重するものと理解した。契約関係は自由な応答によって維持される。

(並木『ヨブ記注解』30頁)

 この理解から、ヨブは、理由も示さずに(したがってヨブの目には「理由なく」と見えた)これまでの祝福を突然取り去ったことに対して、それを神の側での一方的な「契約関係の無視」であり、「極めて不条理な行為」であると判断し、猛烈に抗議したのです。この理解では、「人が神の正義を問うこと」は、決して不信仰ではなく、むしろ「『神の像』として創られた人間に許された主体性の行使」であり、最終的に神が(またもや突然)ヨブに答えた場面は、「ヨブと神との間で応報原則が共有されて」いたことを示すものなのです(31頁)。

 並木先生の『ヨブ記注解』の序論を読みながら、私たちが「神の像」に創られたことの重みを噛み締めています。人間には自由と主体性が与えられているのです。罪とは、その自由と主体性の悪用であり、自由と主体性のないところには罪は成立しない、ということになるでしょうか? そう考えると、キリスト教の歴史の中で発展した「原罪」(originl sin)という教理は、むしろヨブの友人たちの視点、あるいは特にのちに参入(乱入?)したエリフの視点に近い、ということになるのかもしれません。(この辺りはもう少し丁寧に考えてみる必要がありそうですね。)

 

 とりあえず今回はここまでにして、次週25日はヨブ記41章ですので、38章以降の神によるヨブへの応答と、それに対するヨブの答えを見ていこうと思います。次回も並木先生の『ヨブ記注解』に頼りながら、読み進めることになります。

 

 

 

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano