nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

4月30日祈祷会の学び

ライブ配信をしました。

 無事ライブ配信が終わりました。ただし1分前から始めたので、最初の方はデスクライトをいじったりしてしばらく話し始めないので、それでは間延びしてしまうと思い、このブログには、YouTubeで最初の1分5秒くらいをカットしたバージョンを埋め込みました(多分、YouTubeの方も、編集済みのバージョンに差し替えられていると思います)。

 

ソロモン王の治世

 列王記は、ダビデの死後、王位を継承したソロモンの治世から、南北分裂王朝時代の王それぞれの治世を扱い、最終的に北王国イスラエルが紀元前722年にアッシリアによって、南王国ユダが紀元前587年にネオバビロニアによって滅ぼされる過程を描きます。歴史記述として考えると、通常は王国(またその王)のプロパガンダとして、軍事的・政治的・外交的・経済的業績を記録することが一般的なのに対して、聖書はそれとは異なる評価基準で歴史を記述します。それは、主なる神をどれだけ信頼したか、という1点に絞られると言っても良いでしょう。

神殿建設と神殿奉献

 ソロモンの最大の功績は、ダビデの夢であった神殿建設を実現したことです。8章では、神殿封建に際してのソロモンの祈りが記されていますが、ソロモンは王であると同時に、この場面では民を祝福する祭司としての役割も果たしているようです(歴代誌ではもっとその側面がはっきり描かれています)。また9章25節では、ソロモンが「年に三度…主のために築いた祭壇で、焼き尽くすいけにえと会食のいけにえを献げ、主の前で香をたいた」とあります。いずれにせよ、この場面で祭司の役割を担うソロモンの祈りの特徴は、人の手によって作られた神殿は、神の栄光を収めるのには全く不十分であることを認め、それでも神が民を憐れみ、ご自身の栄光を神殿に置いてくださったことを感謝する点です。特に、民が罪を犯してその罪を神殿で告白するときに、神がその御名の栄光のゆえに民の罪を赦してくださるようにと祈る、執り成しの祈りが重要です。この辺りには(9章での主の言葉も)、民が主の律法を守り、契約に忠実であるならば祝福し、主の律法に背いて契約に違反するならば、厳しく罰することを告げた、申命記の精神が色濃く反映していると言えるでしょう。また、ソロモンの知恵についての名声は、10章のシェバの女王の来訪のエピソードによく現れています。

政略結婚と軍事同盟による繁栄

 しかし、ソロモンのもたらした繁栄は、列王記の視点では、必ずしも肯定的に評価されてはいません。ここが、聖書と一般の歴史記述の大きく異なるところです。神殿建設に際しても、ティルス(ツロ)の王ヒラムが杉と糸杉を大量に提供したことが書かれています(5章、ソロモンはその対価としてヒラムの側に食料を大量に支払ったとあります)が、それでも、完成後にソロモンが感謝としてガリラヤの20の町をヒラムに与えた際に、それが「無に等しい」という意味の「カブルの地」と言われるほどの無価値なものだったにも関わらず、ヒラムの方がソロモンに金120キカルを贈ったと書かれています。1キカル=34.2kgなので、120キカルは4,104kg(4t)もの重さです(動画の方では、うっかり間違えた数字を口走ってしまいました)。これだけ見ても、ソロモンとヒラムの関係について、どちらが支配者だったかがよくわかります。

 5章1節には、「ソロモンは、ユーフラテス川からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至るまで、すべての王国を司会した。国々は、ソロモンの在世中、貢を物を納めて彼に服従した」とありますが、この強大な支配力は、エジプトのファラオの娘を妻に迎えるという、エジプトとの政略結婚によって確保した軍事的同盟関係(実際はエジプトへの従属?)によるものでした。10章26-29節には、ソロモンがエジプトとクエから軍馬や戦車を輸入して、それを属国に売っても受けていたことが記されています。

ソロモンの背信

 列王記上11章は、こうした軍事同盟によるソロモンの繁栄を、「背信」として一刀両断します。ソロモンが「多くの外国の女を愛した」(11:1)ことは、明確に主のご命令への違反であり、そのゆえに外国の神々に心を奪われることになったと書かれていますし、さらにはソロモンの死後の王国分裂の要因であると指摘されます(4-13節)。これは単にソロモンが外国の女性を愛したということではなく、(日本の戦国時代にもよく見られたように)政略結婚による同盟でしょう。目に見える軍事力(エジプト、軍馬、戦闘馬車)に頼ることは、裏を返せば、目に見えない主に頼らないということです。詩編20篇8節は、「ある者は戦車を、ある者は馬を誇る。/しかし私たちは我らの神、主の名を誇る」とうたい、イザヤ書31章の冒頭には、「災いあれ、助けを求めてエジプトに下り/馬を頼みとする者に。/彼らは、戦車の数が多く/騎兵が強力であることに頼り/イスラエルの聖なる方に目を向けず/主を求めようともしない。…エジプト人は人であって、神ではない。/彼らの馬は肉であって、霊ではない。/主が手を伸ばされると/助ける者はつまづき/助けられる者は倒れ/皆共に滅びる」(1、3節)と警告します。世間的には(世俗の価値観では)栄華を極めたソロモンですが、聖書の評価基準によれば、軍事力や経済力に頼るあまり神から離れてしまったことで、後の世代に大きな災いをもたらすことになった人物として、厳しい評価を下されているのです。

 私たちは、ソロモンの治世についての聖書の記述を教訓に、主なる神に信頼する信仰生活を心がけましょう。

 


「2020年4月30日祈祷会の学び」

 

おまけ

 2013年7月に東京都美術館で行われた「ルーブル美術館展:地中海四千年のものがたり」で展示されていたレリーフと柱頭を紹介します。1枚目は、主イエスエルサレム入城の場面を、ロバの子ではなく軍馬にまたがる凱旋将軍のように描いた大理石の浮き彫りで、パレスチナ地方で出土した(発掘された)12世紀の十字軍の頃のものです。2枚目は、それが軍馬にまたがる凱旋将軍だということがよくわかるように、同じ地域から出土した同じ時代の大理石の柱頭飾りで、コンスタンティヌス1世と教会を描いたものか、それとも中世のカール大帝サラゴサ(スペイン)侵攻の場面を描いたものとされるものです。横からと、正面からの二つの角度の写真ですが、正面からの図柄を見ると、軍馬の足が、敵の頭を踏みつけているのがわかります。敵を愛することを説いた主イエスの教えとは真逆の精神ですね。

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エルサレム入城:軍馬バージョン

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柱頭飾り:凱旋将軍

 

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