nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2023年7月20日:祈祷会の学びの補足

サムエル記下21章の補足

 先ほど終了した祈祷会の学びのライブ配信ですが、いくつか聖書箇所を紹介しましたので、ブログの方にまとめておきます。

 

ギブオン人とイスラエルの契約(ヨシュア9-10章)

 ヨシュア記9章は、聖書協会共同訳では「ギブオン人の服従」という小見出しがついていますが、1-15節の部分で、ヨシュア記の中で約束の地に入って戦いによって取得すべき対象地域に含まれているギブオンの住民が、イスラエルに保護を求めるために偽装工作をして契約を取り付けたエピソードが記されています。その契約を結んだ3日後に偽装がバレてしまうのですが、ヨシュアは主の前に誓ったことのゆえに彼らを滅ぼさず、代わりにイスラエルの民に仕える役割を与えたことが記されます(16-23節)。

 10章では、そのように抜け駆けしてイスラエルの保護下に入ったギブオン人に対する周辺諸国の対応が記されます。周辺諸国の王たちはイスラエルと一致団結して戦うための連合軍を組織していましたので、ギブオン人の行為を裏切りとして攻撃を仕掛けますが、ギブオン人はヨシュアに助けを求めると、ヨシュアは彼らとの契約のゆえに進軍して諸国の連合軍を打ち破ってギブオン人を守りました。主の前で結んだ契約のゆえに、誠実にその義務を果たしたわけです。

 

サウル王によるギブオン人抹殺の試み

 サムエル記下21章に言及されるサウル王によるギブオン人虐殺については、聖書には具体的な記述がありませんが、2節後半は、「サウルはイスラエルの人々とユダの人々への熱心のあまり、ギブオン人を討とうとしたことがあった」と記します。サウル王はサムエル記上8章で民がサムエルに対して王を立てることを要求したことで、主がそれを容認して王になった人物ですが、王としての地位が安定していたかどうかには、一定の疑問が残ります。

 サウル王については、① 9:1-10:16; ② 10:17-27; ③ 11:1-15の3つの箇所で、それぞれ王としての即位のエピソードが記されています。①は、父キシュの雌ろば数頭がはぐれたのを探しに出かけたサウルが、神の人サムエルの元に辿り着き、そこでサムエルから油を注がれて王となったことが記されています。②は、サムエルがミツパに民を呼び集めてくじを引くと、最終的にサウルに当たり、それを受けてサムエルが民に王の権利について語り聞かせたという、一種の即位式が記されます。③は、ギルアドのヤベシュの住民がアンモン人の王ナハシュの軍に包囲された時に、サウルが(士師記の士師を彷彿とさせる仕方で)神の霊によって立ち上がり、イスラエル全土から軍を招集してヤベシュの住民を救ったことを受けて、ギルガルでサムエルによるサウルの即位式が行われたことが記されます。ちなみに、②には油注ぎが描かれていませんが、25節の王の権利を「書に記して、主の前に納めた」という儀式的な表現に、油注ぎが含意されているのかもしれません。また③にも直接には油注ぎは描かれていませんが、15節の「主の前でサウルを王とした」という表現に油注ぎの儀式が含意されているのかもしれません(あるいは、油注ぎは10:1に描かれる1回のみで、王の即位式自体には油注ぎは含まれていないのかもしれません)。この箇所を扱った祈祷会の学び(4月20日:事前収録動画)の中ですでにお話ししたことですが、私自身は、①と②についてはひとまとめに考えても良いのではないかと思います。

 いずれにしても、即位のすぐ後から、サウル王の失態が描かれ、その王位が続かないことが強調されますので(13:8-15; 15:1-31)、サウルの王権の基盤がかなり脆弱だったと考えられます。サムエル記下21:2の「イスラエルの人々とユダの人々への熱心のあまり」との表現は、あるいはそうした脆弱な基盤を不安に感じていたサウルが、民の民族主義的な意識を高揚させて王権の基盤を強固にしようとする中で、神の民の中にいる異民族の排除をおこなったものだったのかもしれません。そのような民族主義排他主義が、主の前でのギブオン人との契約を反故にする重大な罪として、ここに取り上げられているのでしょう。

 

ダビデによるサウル一族の丁重な葬り(サムエル下21:10-14)

 ダビデはギブオン人にサウルの一族の7人を処刑のために引き渡しますが、そのうちの2人の母であるアヤの娘リツパは、処刑された遺体が空の鳥や野の獣に食い散らかされないよう、身の危険を冒してまで、ずっと守り続けたことが10節に記されます。記述から判断すると、彼女は自分の息子2人だけではなく、処刑された7人すべての遺体を守ったと判断できます。「収穫の初めの頃から、天から雨が…降り注ぐ季節まで」(21:10)とあるうち、「収穫の初めの頃」とは、処刑が行われた「刈り入れの初め、大麦の収穫が始まる頃」(21:9)、つまり4月下旬から5月上旬にかけてです。後半にある「天から雨が…降り注ぐ季節」は、通常の雨季が冬の11月から2月ですので、その場合、収穫の初めの頃から11月までだと相当長い期間になりますが、ここは処刑が行われ、祈りが聞かれて雨が降り出したということで、季節外れの雨のことだと考えることもできるでしょう。ただし、13節にあるダビデが「さらされた者たちの骨を集めた」との記述から判断すると、リツパは彼らの遺体が一定程度朽ちて骨になるまでの期間、その遺体を守ったと考えることもできるでしょう。いずれにせよ、ダビデはリツパの行動について報告を受けたことで、彼らの遺骨と合わせて、サウルとヨナタンの遺骨を引き取ってサウルの父キシュの墓に葬ることを決意しましたので、リツパが処刑された死者の尊厳を守った行動が、ここで重要な役割を果たしていることがわかります。

 

ヤベシュ・ギルアドの住民のサウルへの忠誠(サムエル記上31章)

 サウル王の最後はサムエル記上31章に記されています。ペリシテとの戦いで矢に撃たれて致命傷を負い、死を免れないと悟ったサウルは「武器を持つ者」に自分を殺すように命じますが、彼が恐れて殺そうとしないので、自ら剣の上に身を投じて自害し、息子たちも部下も(同様の仕方で)死にます(サム上31:3-6)。翌日、サウルと息子たちが死んでいるのを見つけたペリシテ兵が彼らの遺体をベト・シャンの城壁に晒すと、かつてサウルによって救出されたヤベシュの住民は(上記③ サム上11:1-15)、サウルへの恩義から、危険を顧みず、その遺体を「ヤベシュに持ち帰って火葬にし」、その遺骨を「ヤベシュのタマリスクの木の下に葬り、七日間、断食した」と記されています(サム上31:11-13)。ヤベシュの住民の行動もまた、サウルとヨナタンの尊厳を回復する行為だったといえるでしょう。最終的にダビデがヤベシュの住民からサウルとヨナタンの遺骨を「もらい受け」て(サム下21:12)キシュの墓に葬った(21:14)ことは、彼らの勇敢な行為がなければ実現することはなかったでしょう。

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