nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

7月9日祈祷会の学び:ブログ編

歴代誌下6章を中心に

 遅くなりましたが、7月9日木曜日午前10時30分にライブ配信した祈祷会の学びのダイジェストを、ブログ記事でもお届けします。

 

ソロモン王の治世

 歴代誌上の最後の部分はダビデ王による神殿建設の準備が描かれていました(22-29章)。それを受けて、歴代誌下は、ソロモン王による神殿建設の記述をもって始まります。まず、ソロモン王の王位の確立が、「なんでも願いを叶えよう」という神に対して(ちょっとジニーみたいですね)、富や財宝、栄誉ではなく、「知恵と知識」を求めたソロモンのへりくだった信仰の姿勢と、その願いを喜んで聞き入れ、知恵と知識を与えた神の恵みによることが強調されます(ちょっと、鉄の斧を落として、正直に鉄の斧ですと言ったら、金と銀の斧ももらえた話を思い出しますが、こういう説話の語り口も、一般の人々に自民族の歴史を楽しく語り聞かせる工夫なのでしょうね。)

 歴代誌下1:2-6にある、ソロモンが主要な家臣を引き連れて、ギブオンにあった主の会見の幕屋まで出かけて行って、そこで神に祈りをささげるという記述は、歴代誌上21:29に出てくる、会見の幕屋と祭壇の場所の情報と一致します。(ダビデは、サタンの唆しにまんまと嵌って人口調査をしてしまい、罪を犯したことで、「主の使いの剣を恐れて」ギブオンの会見の幕屋までいかなかった、という記述も、ちょっとダビデの情けない姿に読めますね。もう一つ、細かいですが、ソロモンが出かけて行った時には、すでにダビデが、神殿建設の準備の一環として契約の箱をエルサレムに移動させていたので、そこにはなかったという情報(1:4、歴代誌上15:1参照)を、誤解のないようにに挟み込むあたり、几帳面ですね。

 ソロモンの治世の特徴は、もちろん歴代誌的には神殿建設ということですが、その他にも、父王ダビデが勢力を拡大し強固に土台据えた統一王国を、さらに反映の極みに引き上げたことがあります。ただし、これはどちらかというと、ソロモンの治世の闇の面を表しているように思います。

ソロモンの治世の闇:軍備増強と武器貿易による富の蓄積

 列王記はかなり強烈にソロモンの背信について語り、政略結婚による多くの外国からの妻によって、主なる神への信仰から逸れたことを批判しますが、歴代誌はあまりその辺りを追求しません。むしろ、妻に迎えたエジプトのファラオの娘のために宮殿を立てたことに関して、契約の箱が安置されている聖なる都エルサレムに、外国人である妻を住まわせることがふさわしくないと考えたからというように、ソロモンの信仰の表れとして説明します(歴代誌上8:11、この辺りは、列王記と歴代誌の視点の違いでしょうね)。それ以上に記になるのが、ソロモンによる軍備増強と武器貿易です。歴代誌上1:14-17では、ソロモンがエジプトとクエから大量に軍馬と戦闘馬車を買い付け、それを高値で近隣諸国に売り捌いて、巨万の富を得ていた様子が伺えます(列王記上10:26-29に並行記事)。列王記の複数箇所の記述から、ソロモンがエジプトと軍事同盟を結び(おそらくエジプトに従属する筆頭の家来のような位置でしょうか?)、その軍事力を傘に、近隣諸国を支配するようになっていたようですので(列王記上5:1)、そうした軍事力を背景に、近隣諸国から貢として納められた資材を大量に使って、神殿と王宮を建設したのでしょう。(ちょっと複雑な気持ちです。)

 さらに気になるのが、ダビデの最後の記述でも触れた(歴代誌上22:2)、「寄留者」(つまり外国人)の強制労働です。歴代誌下2:1に、「ソロモンは荷役7万人、山で働く石切り工8万人、彼らの監督3,600人を動員した」とありますが、これと全く同じ数字が、もう一度2:16-17に登場します:「ソロモンは父ダビデが数えたように、イスラエルの地にいるすべての寄留民を数えた。すると彼らは、15万3,600人であった。彼はそれらのうち、7万人を荷役、8万人を山で働く石切り工、3,600人を民を働かせるための監督とした。」お分かりだと思いますが、当時イスラエル全土にいた外国人を数え上げ、すべて強制労働させたということです(7万+8万+3,600=15万3,600)。最後の3,600人は、「民を働かせるための監督」とされていますが、当然これは、その前に書かれている7万人の荷役と8万人の石切り工を監督する役割です。外国人の中から、外国人の強制労働を監督する上司を選んだ、ということです。彼らに対して(どの程度)報酬が支払われたのかは書いてありませんが、何れにせよ、外国人だけをターゲットにして、山から石を切り出すような記念な作業を強制するというのは、(残念ながら)いつの時代にも繰り返される人種差別やヘイトの現実なのでしょう。ソロモンの治世下では、他にも外国人の強制労働が行われたようです(歴代誌上8:7-8)。

 かつて、エジプト中の人をファラオの奴隷にしたヨセフの後、世代交代が進んでヨセフのことを知らないファラオが登場すると、ヨセフ(というかヤコブイスラエル)の子孫であるヘブライの民へのヘイトが吹き荒れて、彼らはエジプトで強制労働を課せられてくるし見ました(出エジプト1:8-14)。そのイスラエルの民をエジプトの「奴隷の家」から導き出し、契約を結んで彼らの神となってくださった主は、その契約を具体的に生きるために律法を与え、彼らに対して、はっきりと、「寄留者を虐待してはならない。抑圧してはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである」と命じています(出エジプト22:20; レビ19:33-34; 申命24:17-18; 27:19)。ダビデやソロモンの治世において、この契約の精神は一体どこへ行ってしまったのでしょうか?

 

ソロモン治世の光?:神殿建設

 さて、このような外国人をターゲットにした強制労働を批判することに対して、歴代誌の視点はあまり関心を向けません。むしろ、神殿建設をソロモンの最大の功績として称えます(捕囚から帰還し、神殿再建と神殿祭儀の再開を担ったレビ人の視点ですから、当然といえば当然かもしれませんが)。ソロモンは、(ダビデ王が用意した建築資材に加えて)周辺の支配国からの貢や、ティルスの王に依頼したレバノン杉など、贅の限りを尽くして神殿を建設します。「王はエルサレムで、銀と金をあたかも石のように供出し、レバノン杉をまるでシェフェラのいちじく桑のように、ふんだんに提供した」とあるとおりです(歴代誌下1:15)。ちなみに、ライブ配信では、レバノン杉について、木材が限られていた当時のパレスチナでは高級品だったことを説明した勢いで、「まっすぐ伸びて」みたいなことを口走りましたが、確かにレバノン杉は聖書で高くそびえるというような表現もありますが(イザヤ2:13; エゼキエル31:3; アモス2:9ほか)、実際は「まっすぐ」というよりは「どっしり」という感じでしょうか?

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レバノン杉 『ヴィジュアルBOOK:旧約聖書の世界と時代』(34頁)

 聖書では、しばしば、「高くそびえる」「美しい」レバノン杉が、神に対して尊大になり、思い上がって近隣諸国を力と富で支配する大国の姿として(そしてたまにイスラエルの姿として)、使われています。レバノン杉にはなんの罪もないのに、かわいそうですね。

 さて、ソロモンの神殿は、それはそれは壮大なものだったようです。『コンサイス聖書歴史地図』に、再現図がありますので、ご紹介します。

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ソロモン神殿 『コンサイス聖書歴史地図』(24-25頁)

 考古学の発掘の成果をふんだんに取り入れたもう一つの資料、『ヴィジュアルBOOK:旧約聖書の世界と時代』(長谷川修一著:日本キリスト教団出版局、2011年)には、ソロモン神殿の構造について、「入口から再奥部まで一直線の軸上に配され、前廊、外陣、内陣(至聖所)の三部から構成される構造は、当時北シリアに代表的な神殿の建築様式であったようで」あると記されています。列王記上5-6章(=歴代誌下2章)の記述から、「木材にはフェニキアから輸入された高価なレバノン杉が使われ、またその建築にはフェニキア人の技術援助も受けている」ということですので、建築様式が似ていてもおかしくはないのでしょうね。他の文化のものとは一切関わりを持たない、唯一無二の神殿を期待してしまいますが、神殿は真空状態で天から降ってきたわけではないですから、多方向の文化交流の成果として、この辺りは肯定的に評価したいと思います。

 ソロモンの神殿を唯一無二にしていたのは、建築資材でも建築様式でもなく、そこにご自身の名、つまり栄光を置いてくださる主なる神によるものだと言えるでしょう。この神は、十戒の前文もあるように、イスラエルをエジプトの奴隷の家から導き出した主であり、再奥部の至聖所には、この主との契約の石の板を納めた契約の箱だけが安置されていて、神々の像は一切おかれていませんでしたので、(実際の人々の生活における実態はともかく)少なくとも聖書が強調する理念(理想形)としては、イスラエル宗教の本質は、この神との人格的な契約関係にある、ということになります。この神が憐れみ深い方であることを知っているので、ソロモンは、神殿封建の祈りにおいて、イスラエルが罪を犯した際に、悔い改めて主に立ち返り、この神殿で主に祈るなら、赦しを与えてくださいと祈ったのです(歴代誌下6:17-42)。この祈りは、第一神殿奉献時のソロモンの祈りであるとともに(あるいはそれ以上に)、バビロン捕囚を神に背いた罪に対する罰として受け止め、捕囚からの帰還を神の憐れみ深い赦しとして受け止め、困難を乗り越えて神殿を再建し、神殿祭儀を再開した、祭司・レビ人の心からの信仰告白だったはずです。それは、感謝であるとともに、決意表明でもあったでしょう。聖書の編纂は、こうした信仰告白に基づいてなされたのであり、生身の人間の信仰の苦闘を反映したものとして、重みがあるのだと思います。

 

中山教会のこと

 私たち、ホーリネス中山教会には、太平洋戦争の時代に政府による弾圧を経験し、教会が解散させられた歴史があります。1942年6月26日は、治安維持法違反の嫌疑で一斉検挙が行われ、翌43年4月に宗教団体法に基づいて出された解散命令を受けて、4月15日に船橋警察署特高課で「解散式」が行われました。当時牧師であった米田勇師の手記「父の受難と共に」が、当時の状況を詳細に伝えています(『ホーリネス・バンドの軌跡:リバイバルキリスト教弾圧』[ホーリネス・バンド昭和キリスト教弾圧史刊行会、1983年]、649-56頁、一斉検挙から解散式は649-51頁;後に、山崎鷲夫編『戦時下ホーリネスの受難』[新教出版社、1990年]に再録)。戦後間もなくの1946年2月には伝道を再開しましたから、中山教会は2年10ヶ月ほど、歴史からその存在を消されたことになります。しかし、主の憐れみにより、戦後の再会から今日まで、途切れることなく礼拝を続けてきました。これからも、途切れることなく、与えられた福音宣教の使命を果たしたいと思います。

 現在、新型コロナ感染症の影響で、4月から3ヶ月間、礼拝堂に集って礼拝することを控え、ネットでの礼拝を続けていましたが、7月から、ライブ配信と並行して、小規模ながら会堂での礼拝を再開しました。また感染者数が跳ね上がっている状況で雲行きが怪しくなってきましたが、礼拝できる喜びを、歴代誌を記したレビ人とともに、噛み締めたいと思います。

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano