nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2021年5月13日 祈祷会の学び(雅歌8章)

5月13日の祈祷会の学びの動画です

 先ほど終了した祈祷会の学びのライブ配信動画を、ブログでも提供いたします。


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過越祭での朗読

 雅歌は、ヘブライ語聖書の分類では「メギロート」(巻き物)と呼ばれる文書群の一つです。メギロートには他に、ルツ記、コーヘレト書、哀歌、エステル記が含まれていますが、前回のブログでご紹介したように、それぞれユダヤ教の祭の中で朗読されます。雅歌は、神がイスラエルヘブライの民)をエジプトの奴隷の家から導き出した出エジプトの出来事を記念する過越祭で朗読されます。過越祭は、旧約聖書で定められている三大巡礼祭(過越祭、七週祭、仮庵祭)の一つであり、記念する内容からも、非常に重要な祭りです。ちなみに、過越祭は別名「除酵祭」(種入れぬパンの祭:ペサハ)とも呼ばれ、七週祭は別名「週の祭り」(五旬祭:シャブオット)とも呼ばれます。この「五旬祭」のギリシア語が「ペンテコステ」ですので、私たちにはこちらの方が馴染みが深いでしょう(今年は5月23日です)。聖書協会共同訳では「刈り入れの祭り」と訳されていて、逆に分かりづらい気がします。ちなみに、仮庵祭のヘブライ語名はスコットで、祭りの期間中に過ごす仮庵(スカ)に由来します。

 雅歌自体は、男女の恋愛を言葉たくみに、かつ情熱的に詠んだ恋愛詩が元になっていて、愛する女性の姿を鳩や山羊、ザクロ、ナツメヤシなど、様々なものに例えて称えます。愛する女性の首が「武器庫として建てられたダビデの塔のよう」(4:4)と表現されると、現代の欧米文化の影響で作られた美の基準に長く晒されてきた私たちには、なかなかイメージしづらい気もします。相当屈強な首回りなのでしょうね。ちなみに、岩波版(勝村弘也訳)では、「君の首は、整然とした石積みの、ダビデの塔のよう」となっていて、注に「『首』は人間の誇り高さを象徴する(詩篇76:5; ヨブ15:26)。恋人の誇り高く、近寄りがたいような態度を言う(7:5参照)」と説明されています(なるほど…)。

 それはともかくとして、このように情熱的に描かれる深い愛情が、神とイスラエルの関係に当てはめて読まれることで、雅歌は旧約聖書正典の中に入っているわけです。雅歌が過越祭で朗読される理由も、その辺りにあるのでしょうね。

 神は、エジプトの地で目障りなマイノリティーとしてヘイトのターゲットになり、抑圧されていたヘブライの民を憐れみ、彼らをその苦しみの中から救い出すことを決意します。出エジプト記3:7-10に次のように描かれています。「私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。それで、私は下って行って、私の民をエジプトの手から救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地…に導き上る。今、イスラエルの人々の叫びが私のもとに届いた。私はエジプト人が彼らを虐げているのを目の当たりにした。」こうして、神はモーセに語りかけて、彼をエジプトに遣わすのですが、この箇所では、神がイスラエルの苦しみを「見た、聞いた、知った」ことが強調されます。この辺りに、神の深い憐れみと愛を読み取ることができるでしょう。

 この神ヤハウェの深い憐れみと愛に対して、神の民イスラエルが応答する様子が、イスラエルがついにエジプトを脱出する場面に美しく描かれています(出エジプト12:40-42):「イスラエルの人々がエジプトに滞在していた期間は、430年であった。430年が終わるちょうどその日に、主の全集団はエジプトの地を離れた。その夜、主は彼らをエジプトの地から導き出すために、夜通し見張りをされた。それでこの夜、すべてのイスラエルの人々は代々にわたり、主のために夜通し見張りをするのである。」この「夜通し見張りをされた/する」の部分は、一つ前の新共同訳では、「寝ずの番をされた/する」と訳されていました(個人的にはそちらの表現の方が好きかな?)。

 

いよいよ預言書:先ずはイザヤ書

 明日から、中山教会の聖書通読はイザヤ書に入ります。イザヤ書は全部で66章もある大作です(詩編は150篇ですが、1篇1篇が短いものもあるため、総量としてはイザヤ書詩編並みという感じでしょうか?)。ヨブ記から雅歌までとは、ジャンルとしても違いが大きいですが、感性を切り替えて(?)読み進みましょう。預言書の場合は、文体としては詩の文体がメインですが、具体的な時代状況を背景にしているので、当時の大国であるアッシリア、バビロン、エジプトなどの覇権争い、近隣諸国との同盟関係など、複雑な要素が絡んできますし、そうした要素をある程度理解することが、預言書を深く味わうためには不可欠です。この祈祷会の学びでも、なるべくその辺りを丁寧に説明できるようにいたします。

 

 

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano