nakayama-holinessのブログ

日本ホーリネス教団中山キリスト教会の公式ブログです。

2021年7月15日 祈祷会の学び(イザヤ書63章)

7月15日の祈祷会の学びの動画です

 先ほど終了した祈祷会の学びのライブ配信動画を、ブログでも提供いたします。

 


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イザヤ書60章以降:終末論的逆転

 イザヤ書60章は、「起きよ、光を放て。/あなたの光が来て/主の栄光があなたの上に昇ったのだから。…あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる」と、シオンに語りかけて始まる印象的な箇所です。

 ここで使われているイメージは、「有翼日輪」という、「エジプトに発し古代オリエントに共通する王のイデオロギーを表す図像であ」り、アケメネス朝ペルシアの都ペルセポリス(「ペルシアの都市」という意味のギリシア語名で、現在のイランのファールス州)にあったダレイオス1世の建設した王宮の「アパダナ(謁見の間)大階段のレリーフ」には、そこに「異邦諸民族が自発的に捧げる貢ぎ物を受け取る大王の上に有翼日輪が輝く」姿が描かれています(浅野淳博他『新約聖書解釈の手引き』[日本キリスト教団出版局、2016年]、第8章「文化研究批評」266頁)。

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アパダナ東階段中央:有翼日輪

 

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アパダナ東階段:各国使節団の朝貢

上の二つの写真は、ウィキメディア・コモンズからのものです(Wikimedia Commons)。最初の写真の中央上部に翼の生えた太陽が描かれていますが、これが「有翼日輪」です。次の写真で隊列を組んで順番待ちをしているような姿で描かれるのが、各民族の朝貢団で、このイメージは朝貢団が王のもとに導かれて行く嘆願者すの姿で描かれていて、「軍事的なイメージはかけて」いる点が特徴です(同書、266-67頁)。『手引き』8章の著者たち(村山・浅野・須藤)によれば、イザヤ書60章は、この「輝き出る太陽のイメージと、軍事的な要素を伴わない異邦人の自発的な貢納の組み合わせ」にあり、それはこの写真のアパダナ・レリーフと「顕著に一致する」のです。つまり、イザヤ書60章では、このイメージが神ヤハウェに当てはめられ、ヤハウェが王として治めるシオンの丘に、各国使節団が朝貢にやって来るとして、このイメージを逆転させているわけです。

 古代メソポタミアでのこのイメージの使用が「王=太陽=神」という理解を反映するのに対して、イザヤ書のイメージの独自な点としては、聖書の創造信仰を背景に、太陽そのものを神としては描かず、あくまでも神による被造物という理解が根底にあることが指摘できるでしょう。19-20節の描写は、被造物としての太陽が役割を終え、神ヤハウェが「あなたにとってとこしえの光隣」、「あなたの太陽(つまり神ヤハウェ)は再び沈むことがな」いと告げられます。

回復と報復

 イザヤ書61章は、終末における神の救いの完成を「ヨベルの年」の解放のイメージで描きますが、その際に、「主の恵みの年と/私たちの神の報復の日」を一息で語ります。主イエスがナザレの会堂でこの箇所を朗読し、ご自身の宣教を終末におけるヨベルの年の成就として提示した際には、この最後の「私たちの神の報復の日」の直前で引用を止めていますが(ルカ4:18-19)、それは、この箇所にある報復のイメージを沈黙させる意図があったのでしょう。その背景を考えてみます。

 エルサレムを中心とするユダヤと、かつて北王国イスラエルの中心地だったサマリアは、紀元6年にローマ帝国の皇帝直轄属州となります。これは紀元前4年のヘロデ大王の死去に伴い、その息子の一人ヘロデ・アルケラオスにこの地域が分割統治されたにもかかわらず、彼の統治が(父王ヘロデに輪を掛けて)残忍なものだったために、日頃は対立していたユダヤサマリアの人々が結託して皇帝に使節団を派遣し、アルケラオスの追放とローマの直接統治を願い出たことによります。このように、当初は住民自身の希望によって始まったローマによる直接統治ですが、始まってみると現実はそれほど甘くはなく、派遣される総督や補助部隊に対する住民の不満は募っていきました。しかも、紀元37年までは、大祭司が神殿での祭儀の際に着用する祭服さえも総督が管理し、その都度総督の許可を得て借り出すような状況でしたから、異教徒が神の民を支配するという「屈辱」が強く意識され、民族主義が高まっていきます(サマリアはこの点で、多少ユダヤの住民とは温度差があったと考えられます)。

 他方ガリラヤは、紀元前4年のヘロデ大王死去の際に、ヘロデの別の息子ヘロデ・アンティパスが、ガリラヤとペレアの「四分邦領主」としてローマに任命されますが、アンティパスの統治は比較的安定していたようで、左遷されることもなく主イエスの時代にも、変わらず統治を任され続けています。ただし、ガリラヤの住民も、ユダヤ教徒としてエルサレム神殿への帰属意識が高く、ユダヤの住民と同様に、反ローマの民族主義が高まっていたと考えることができます。ちなみに紀元6年の属州ユダヤ創設の際には、シリア州総督の管轄下で行われた人口調査(徴税目的)に対して、ガリラヤ出身のユダの率いる徴税拒否の暴動が起きています(当然ながら、ローマ軍によって鎮圧されます)。

 このように背景を探ると、主イエスの故郷ナザレの会堂の聴衆の間にも、反ローマの軍事的反乱を期待する機運がある程度高まっていたのかもしれません。主イエスがわざわざ「報復の日」を外して引用したのも、その辺りが関係していそうですね。

 とはいえ、イザヤ書61章には確かに「報復の日」が語られています。61章ではまだ「異邦人による自発的貢納」の側面が強い描写ですが、63章になると、イスラエルの宿敵エドムに対して、激しい(生々しい)イメージで報復が描かれます(1-6節)。「エドム」(=赤)からの連想で、「ぶどうの搾り場」でぶどうを踏む際の赤い汁が、神の怒りを受けて流される報復の赤い血の象徴として使われますので、現代の私たちにはなかなか飲み込みづらい描写です。63章後半から64章にかけては、(バビロン捕囚で)廃墟となったエルサレムの回復を願う声が、神ヤハウェに向けられていますので、この辺りはやはり周辺の列強に対する報復が弱小の民であるイスラエルの救いとして描かれているとも言えるでしょう。ところが65章に目を転じると、神が報復した対象が、神に反逆したイスラエル自身であるように描かれています(3-7節)。つまり、ここではバビロン捕囚の原因として、イスラエルの民の反逆の姿を描いているわけです。しかし、その報復対象である反逆の民に対して、神は憐れみを注ぎ、その「残りの民」(「ぶどうの房に〔ある〕発酵しかけの果汁」=「祝福」:8節)から、回復の業が始められることが、救いとして告げられます。このように、大きな展開としては、報復よりも回復に重きが置かれていると言えるでしょう。

 この回復/祝福/救いの最終的なイメージとして、イザヤ11章の狼と小羊が共に伏すイメージが繰り返され、「私の聖なる山のどこにおいても/…危害を加えることも、滅ぼすこともない」と宣言されます(65:25)。これは、報復の結果の立場の逆転ではありません。もしも列強に対する報復の結果、弱小だった神の民が列強を支配するようになるという勝利主義的なヴィジョンを描くなら、「狼は小羊に噛み裂かれ、獅子は牛に食い殺される」というような描写になってもおかしくないでしょうが、ここでは(そしてイザヤ11章の元々のイメージでも)、両者が平和のうちに共存する姿が描かれているのです。ですから、実際のイザヤ書の記述の順序では、「豚や忌むべきものやねずみの肉を食べる者たち」が「共に滅び」(66:17b)、その「私に背いた者たちの死体」が人々に見られる(見せしめ?)というおぞましい光景の描写で終わっていますが(66:24)、事柄の内実としては、65章の回復のイメージの方が最終的なイメージだと言えるでしょう。

 *ちなみに、現代イスラエルの英字新聞「ハアレツ」(「この土地」という意味のヘブライ語)の7月15日付の記事で、ダビデ王時代(第一神殿期)のエルサレムの遺跡から、完全な姿の豚の骨が出土したことが報告されていました。この骨は、野生種ではなく、食用に飼育されていた豚の骨であることから、(聖書の律法の規定にもかかわらず)少なくとも富裕層の間で、わずかながら豚肉が食されていた証拠だと説明されていました。もともと地域的に古代オリエントでは、イスラエル以外でも羊、山羊、牛が食肉の中心だったということで、この豚の骨の出土は珍しいようです。イザヤ66:17bからすると、ネズミの肉も食べていたのですね…。ちょっと複雑です。

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano