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2021年3月4日 祈祷会の学び(詩編131篇)

本日の祈祷会の学びの動画です

 先ほど終了した3月4日の祈祷会の学びのライブ配信動画を、ブログでも提供いたします。


2021年3月4日 祈祷会の学び

 

131篇

 数ある詩編の中で、131篇は133篇とともに、2番目に短いし変です。最短の詩編は117篇(2節だけ!)でした。119篇は176節まであり、3分割でも通読に難儀しますが、短いからと言って、重要さも低いというわけではありません。この131篇も、120-134篇の「都に上る歌/巡礼の歌」の一つです。

1節

 1節は、標題部分に「ダビデの詩」とあります。内容としては、ヤハウェの前にへり下る信仰者の姿を詠んだもので、詩人が「私の及ばない大いなること/奇しき業に関わることはしません」と主の前で宣言し、自らが驕り高ぶっていないことを示します。

 通常は神の奇跡的は業(天地創造出エジプト、捕囚からの帰還)などを指す表現が、ここでは人の目を引くような人間の偉業のような意味合いで使用されているようです(月本昭男『詩篇の思想と信仰』Ⅵ:78-79頁)。そこから、この詩人が「ごく平凡に生きてきた」存在であると読み取ることも可能でしょう(同書81頁)。

 標題の「ダビデの詩」からは、この詩の詠み手を、偉業を成し遂げたダビデ王とすることも示唆されますが、その場合、イスラエルの歴史において記念される偉業でさえも、主の前におごり高ぶる根拠にならない、という意味に取れるかもしれません。

2節

 「私は魂をなだめ、静めました」について、月本先生は次のように説明します。〔以下引用〕

原文「もし、私がわが魂を静め、沈黙させなかったとすれば」。元来、「自分はどうなってもかまわない」といった主文を省略した誓いの文体。つまり、強い肯定を表す省略構文。(79頁)

 この場合、どのような思い・感情を静めたのかがポイントになりそうです。1節との関連で考えれば、自らの偉業を根拠に驕り高ぶる人々に対して、例えば自分には誇るものは何もないと卑下したり、あるいは妬むような感情かもしれません(市井の人を詠み手として想定)。また、自分にも誇るべきものがあるにもかかわらず、他の人とは違って主の前にへりくだる場合には、自分の中にも、偉業を誇りたいという欲求がふつふつと湧いてくる状況も考えられるでしょう(ダビデ王のような偉人を詠み手として想定)。何れにせよ、詩人は自分の魂を静め、神の前にへりくだると語ります。

 この魂を静める状況を、詩人は「母親の傍にいる乳離れした幼子のように」という比喩によって表現します。原文の意味が明瞭でないために、古来様々な解決が図られてきたようですが、基本的には、(乳離れしてもなお)母親に依存する存在である幼子になぞらえて、詩人が自らの主に依存する存在を表現したと考えられます。個人的には、乳離れした幼子が母親の傍にいる状況は、まだ母乳に未練があるようなイメージなので、その未練を静める幼子のイメージと1節を関連づけて読めば、自らの偉業を誇る周りの人々を横目に見ながら、偉業を誇りたい衝動にかられる自らの魂を静める詩人の心理が読み取れるようにも思います(ちょっと読み込みすぎかもしれませんが、、、)。

 月本先生は、この「母親の傍にいる乳離れした幼子」という表現から、この詩編の元々の読み手が母親だったことを示唆します(82頁)。つまり、特に人目をひく偉業もなく、平凡に子育てをして生きてきた市井の新校舎の告白、ということです。そう理解すると、偉人ダビデ王の詩と読むよりも、一層この詩編に歌われる信仰の深みが増すように思います。

3節

 最後の3節は、唐突にイスラエルへの語りかけがなされます。目立つところのない、誇るもののない平凡な信仰者の姿と、大国の狭間で翻弄される弱小の民イスラエルの姿が重ね合わされて、ここに表現されているのでしょう。1人の詩人の生き様を歌った詩が、共同体の共通の信仰告白として祭儀に採用されていった過程を反映していると考えられます。

 主に依存し、主に信頼する詩人が(そしてイスラエルが)、自らの助けである主を待ち望むように、自らに呼びかけるこの発言は、エルサレム神殿に詣でて神の前で礼拝することを心待ちにする巡礼者の姿と重なります。

 

130篇

 前の『聖歌』には、『主よ深き淵の底より』(228番)というマルティン・ルターのコラール賛美が、J.S.バッハのアレンジで載っていましたが、残念ながら『新聖歌』には採用されなかったようです。『讃美歌21』(160番)にも、『教会福音讃美歌』(200番)にも、それぞれ採用されています(「深き悩みより」AUS TIEFER NOT)。嘆きの詩編として、レントにふさわしい気がしますね。

 この詩編もまた「都に上る歌」という標題がつけられている巡礼詩の一つです。ここでは、「主よ、あなたが過ち(咎)に目を留めるなら/…誰が耐えられましょう」(3節)と歌われており、罪をきっちり(その罪の分量に正確に対応して)処罰する神の姿が退けられています。神の本質は、罪を罰する厳密さにではなく、罪を赦す憐れみ深さにあり、それゆえにこそ「畏れられる」ということです(4節)。詩人が主の待ち望むのは、この赦しを待ち望むのであり、それは主の「慈しみ」と「豊かな贖い」のゆえだと説明されます(7-8節)。

 この「贖い」については、以前『聖書神学事典』の「贖い」の項目にも書きましたが(いのちのことば社、2010年:127-36頁)、聖書の「贖い」は、キッペールというヘブライ語動詞(ヒフィル形:強意)によって、祭儀的な罪の清めとしての側面が表現されます。カーファルは「覆う、拭う」といった意味ですが、キッペールは「祭儀を通して穢れとしての罪を拭い去る行為を表す」ものです(月本:74頁、河野:129-31頁も参照)。この詩編131篇では、4節で「赦す」という意味のサーラハが使用されていますが、月本先生によれば、これは「神ヤハウェによる罪の放免そのものを表す動詞」です(74頁)。旧約聖書では、サーラハは祭儀において「知らずして犯した罪を清める儀礼を定める規定の締めくくりに付される定型文『祭司がこうして彼/彼らのために罪を贖う儀式を行うと、彼/彼らの罪は赦される』(新共同訳)を構成する(レビ4:20,26,31,35; 5:10,13,16,18,26)」と説明されます。この祭儀法の文脈では、サーラハとキッペールが一緒に使われている点が特徴的です。月本先生は、この文脈のキッペールについて、「この一語が…『罪を贖う儀式を行う』と訳されるが、より厳密にいえば、この動詞は『罪を贖う』のではなく、『穢れ』と見なされた『罪』を儀礼的に『拭う』ないし『祓う』行為を指す」と説明します(74頁)。

 要するに、罪に対する罰を厳密に執行することによって、その罪への対処が完了するということではない、ということです。伝統的な贖罪論では、イエス・キリストの十字架上の死について、主イエスが私たちの身代わりに、罪の罰を受けてくださったことにより、私たちがその罰としての死を受けなくて済むようになったと説明します(刑罰代償説)。残念ながら、この考えは聖書の思想とはズレていると言わざるを得ないでしょう。神による赦しは、厳密な処罰を下した結果ではなく、罪を取り除くことによる赦しなのです。結構大事な点だと思います。

 主を待ち望む信仰者は、6節で朝が来るのを待ち望む「夜回り」(夜警)になぞらえられていますが、月本先生によると、「巡礼者たちの中には、エルサレム神殿境内の周囲に設けられた宿泊施設で世を過ごし(詩134:1参照)、ときには夜を徹して祈りを捧げる者もいた(詩17:3; 77:7他)」ということです(同書73頁)。それは、「『朝』はヤハウェの『裁定』がくだされ(エレミヤ21:12; ゼファニア3:5)、祈りが聞き届けられる喜びの時でもあった」ことに由来します(72-73頁)。130篇が巡礼詩とされているのは、こうした背景があるのですね。

宗教法人日本ホーリネス教団中山教会・ 〒273-0024 千葉県船橋市二子町604-1・ 牧師:河野克也 Katsuya Kawano